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Note No.6

小説置場

千代に

 途方もない願いだなんて、わかっちゃいるけど。

 風呂上りに渡り廊下を歩いていたら、中庭の方でうごめく人影を発見。夜闇に目を凝らしてみると、自動販売機の明かりに照らされた横顔に見覚えがあった。まあ、見間違いかもしれないけど、声をかけて何かが減るわけでもない。
「ハネ!」
 口に手を当てて叫ぶと、影はこちらを見た。案の定、よく知った顔だ。枝川杏里――同じ学年の女子生徒。クラスも違うから接点なんてあるはずなかったのに、どういう因果か巡り会って、やたらと一緒に行動している。最も俺は、彼女の顔を見ても枝川だという認識より先に立つものがあるけれど。
「シノさん」
 ハネ―枝川よりも馴染んだ名前だ―が、小走りに駆けてくる。そして、俺の名前ではなく、これまた馴染んだ名前を口にする。高校だけでいうなら、本名よりも聞く回数が多いかもしれない名前だ。
「あ、シノさんお風呂だった?」
「おう。ミーティング長引いたからって、俺らだけ時間ずらしてもらった」
 広い風呂使えてラッキーだった、と言いつつ何だか不思議な気分になる。一緒に風呂へ向かったのは、いつものメンバーだ。エンジやらトクサだっていたのに、目の前のコイツがいないのが不思議だった。
「私もお風呂だったよ。シノさんよりちょっと早いけど――って何か不思議だよね」
 苦笑のような表情で、ハネが言う。何が、なんて聞くまでもなかった。高校に入って出会った人間だというのに、設定を叩き込んでいるおかげかそれとも元からの気質なのか、理由はわからないけど、やたらと波長が合うのだ。思うことや考えることが、ぴったりと合わさっている。
「だな。まあ、静かでいいかもしれねーけど」
「はは、一緒だったら絶対シノさん湯船に沈めるからね!」
「こらこら、風呂で騒ぐな」
 他愛ない話を繰り広げていると、気の抜けた笑い声が漏れる。自覚はなかったけれど、泊りがけの学校行事ともなるといささか気を張っていたのかもしれない。ゆるゆると、こわばりが解けていく。
「…で、お前何してたの」
「ああ。星見てた」
 軽やかに言うと、ハネは頭上を示した。山の中腹にあるロッジのため、随分と空が近い。空気も澄んでいて余計な照明もないから、俺たちが普段いる場所よりも、格段に星が見えた。散りばめたような、というのはきっとこういうことを言うんだろう。
「一応さ、ソウビも誘ったんだけど。朝早いから寝るって断られた」
 肩をすくめての台詞に、思わず笑った。まったくソウビらしい。睡眠不足は一番の敵だと言い張る人間だ、きっともう布団の中にいるのだろう。
「でも、私全然星詳しくないから、星座とかわかんないんだよね。シノさんわかる?」
「冗談。たくさんあるなってことしかわかんねーよ」
「ですよねー」
 軽く言い放つと、同じくらいの質量で言葉が返る。気持ちいいな、と思った。こうして何の気負いもなく話せる相手がいるのは、もしかしたらとてつもない幸運かもしれないな、と思った。
「でも、星見てると壮大な気分になるよね」
 首を上げて、目に星空を映しながらハネが言う。俺も同じように、満天の星空を眺めながらその声を聞いている。
「何億光年彼方の光がここに届くって、不思議だし。っていうか、何億光年とか長すぎてわけわかんない」
「…まあなー」
 光年だとか言われても、気が遠くなるほどの時間らしい、ということしか理解出来ない。えらい長い時間だっていうくらいの認識。だからそんなの、ほとんど永遠みたいなものじゃないかと思う。
「前のハネズも、その前のハネズも、同じ星を見てたかもね」
 こんな風に、シノさんと。ささやくように落とされた言葉。ゆっくりと届いた声。そうだな、と思った。きっとずっと、俺たちは――それは正しく俺と目の前のコイツではないとしても、やっぱり俺たちは――こんな風に傍にいたんだ。これから先も傍にいるんだ。
「…ハネがロマンチストだ」
 茶化すように言うと、「悪かったね」とぶっきらぼうに答えるから。俺は笑みを乗せたまま、「悪い」と頭を叩いた。ぽんぽん、撫でるみたいに、ここにいるのを確かめるみたいに。
「でも、俺も思うぜ」
 満天の星空。何億光年もの時を越える光。気の遠くなるほど、人間の一生何千万回分もの間輝き続ける星たち。俺たちはその光を見届けることは出来ないけど、ずっとずっとこうしてつないでいけたら、それも夢じゃない。ずっとこうして続いていったら、それは決して不可能じゃない。
「次のシノノメも、その先のシノノメも。ずっとお前と、同じ星を見てるよ」
 たとえば永遠を願うように、思うんだ。そんなの途方もないし、きっと夢物語みたいな願いだ。わかってるけど、それでも思う。それでも叶う気がしている。だって俺たちは、ずっとずっと一緒にいて、ずっとずっと傍にいる。厳密な意味での、俺とお前じゃないとしても。それでもつないでいけたなら、俺たちはきっと永遠の一部になれる。
「…そうだね」
 一瞬だけ間を開けて、ハネが笑った。ふんわりと、とてもやわらかいものを抱きかかえているみたいな笑みだった。