Note No.6

小説置場

再会の宴


 乾杯の音頭は、この集まりを取り仕切っている平市――トクサだった。朗らかな笑顔で手にしたグラスを掲げ、「かんぱーい」と告げる。それぞれが思い思いに、声に合わせてグラスを持ち上げた。
「久しぶりっ!」
嬉々とした顔でかちん、と高らかに鳴らしたのは寿志――ミルだ。ぷはあっと一息に飲み干してから、周囲の人間へ明るい笑顔を向けている。
「うん。このメンバーが揃うのって、1年ぶり…くらい…かな」
 控え目に、周囲を見渡しながらグラスを合わせた寧々――セイジが小さな声で漏らした。トクサが指折り計算をしながら、「ああ、それくらいだよね」と返答する。セイジがほっとしたように笑った。
「なかなかロクショウが出てきてくれなくてねぇ」
 困ったような顔をしているものの、目は完全に笑っていた。小さくグラスを掲げる程度で、黙々と口をつけていた峻介――ロクショウは、鼻を鳴らした。こういう集まりが好きな人間ではないことを三人は知っていたので、今ここにいるだけでも奇跡的だと理解している。
「今回はやっと参加してくれる気になって有難いよ」
 邪気のない顔でにこにこと言うけれど、ロクショウは舌打ちをしたい気分になる。無理矢理に結ばれたつながりなんて、卒業したら断ち切ってしまうつもりだったのに、一体どうして俺はこいつらと酒なんて飲んでいるんだ。
「断れない状況にしたのはテメエだろう、トクサ」
 凄んでみせたというのに、当の本人はけろっとした顔で「そうだっけ?」と答えている。大体において、ロクショウが凄みを利かせた時点で周囲の人間も遠巻きになるというのに、トクサ以外の二人もまるで堪えた様子がない。ミルに至っては好奇心が刺激されたらしく、「何したんだよ、トクサ!」などと言っている。
「いや別に。今までいくつか日程の候補を上げても、全部駄目って言われるから。じゃあ、ロクショウに合わせるから空いてる日送ってくれって」
 一日フリーじゃなくて構わない。わずかでも空いている時間があれば、食事を一緒にするだけでもいい。そう告げれば、観念したようにいくつかの期日を知らせてきたのだ。ミルは「あー、なるなる。全部忙しいってわけないもんなー」としきりにうなずいている。
「ロク君。忙しいのに、ごめんね」
 隣にいたセイジが困ったような顔でビール瓶を持っていた。自然な動作でロクショウのグラスをビールで満たし、「でも久しぶりに会いたかったから、ありがとう」と続けた。ロクショウは思わず黙り込み、随分と慣れ親しんだ人の、一年越しの顔を見た。
 強制的につながりを持たされた彼ら。己の意志など無関係に事態は進み、逃れることなど不可能だった。そうしてここまで運ばれてきてしまったのだ。中には自ずと役割を全うする者もいたけれど、ロクショウは違った。目の前のこの人も。
「…別に」
 ぽつりと言葉を落とすと、セイジがやわらぐように笑みを浮かべた。あの頃はいつもおどおど、びくびくしていたし、今だってそう変化はない。だけれど、過ごした時間はあまりにも濃密で、その臆病さの裏側に隠れたものを知らないままでいるのは、あまりに難しかった。気がつけば当然のように、心情を理解していたし、手に取るようにわかってしまった。いつの頃からか、ここにいる三人の心なんて。
「セージはさ、また何か困ってんだって?」
 くるり、と顔をこちらに向けたミルが言葉を投げる。ここまで一緒に来た二人なので、ある程度の世間話はしていたらしい。セイジがきょろきょろと辺りを見渡してから、小さくうなずいた。
「どうしたの? 話してみたら楽になるよ」
 おだやかに続けるトクサの声は、昔と寸分も変わらない。何かにつけて心配性で、びくびくしているセイジの不安を見つけるのは大体ミルだった。それからトクサが話を聞くのだ。今のように、全てを包み込むようなやわらかな笑みとともに。
「…ええと、あの…上司が何だか最近機嫌がよくて…もうすぐクリスマスだからってお金くれて……。いただけませんって断ったんだけど、断ってたら不機嫌になっちゃって、結局受け取っちゃったんだけど……」
 消え入りそうな声でもたらされた事情に、三人は目を瞬かせる。確かに部下へのプレゼントで現金をそのまま渡す(しかも賞与や何らかの対価ではない)、というのはいささか常識に欠けた行為だろう。セイジが困惑するのもわかる。しかし、おどおどしたセイジは「盗んだとか言われちゃうかもしれない…」と悩んでいるのだ。どうしてそうなるのか、全く話が見えなかった。
「セイジ、セイジ。ちょっと待って。何で盗んだとかになるのかな」
 落ち着いて、と声をかけながら問えば、セイジはゆらゆらと定まらない視線で答えを返す。曰く、その上司はとても曰くつきの存在らしい。新しく配属された時、とにかく周囲の人間からは気をつけるよう忠告され、反論はせずやりすごすように、と言われたという。実際変わった人で、一日の間でも言うことがころころ変わる、機嫌のバロメーターが著しく変化しすぎる、己の過ちを絶対に認めない、など付き合うのも閉口する人間だった。
「どうにか上手くはやってたんだけど……やっぱり、すごく怒られちゃって……」
 仕事が出来ていない、給料を払う価値がない、今までやって来たことには一つも意味がない、などと言われたのだという。もちろんセイジはショックを受けて、憂鬱な気持ちで次の日職場に向かった。
「でも、そんなの忘れたみたいに…にこにこしてて…それが逆に怖くて…。怒られた所を直そうとしたら、そんなことしなくていいって言われちゃうし…、よくわからない人なの。朝と夜で、言ってることが180度変わっちゃうし…」
 だから今度会った時は、お金をあげたんじゃなくて盗まれたんだって言われたらどうしよう…。沈痛な面持ちでセイジは言葉を吐き出す。本当に心底思い悩んでいるらしく、顔色も若干悪かった。
「えー…、それセージの気引きたいとかじゃないの、そのおっさん」
「ううん、女の人だから。もうすぐ定年だけど」
 ミルはその言葉に、あからさまに顔をしかめた。「げげ、ヒスおばさんか」と心底嫌そうだ。その様子を眺めていたトクサは、「まあ、受け取らないのが一番いいんだけど、もう遅いしねぇ」とつぶやく。
「うん。とりあえず、そういう人なら仕方ない。盗んだとか言われたら、断固として否定するしかないよ」
 面倒だからって認めると、損害賠償とか請求してきそうだから、とはっきり告げる。セイジの目に、明らかな怯えが宿った。トクサはそれをほぐすように、出来るだけおだやかな笑みを浮かべて続ける。
「大丈夫だよ。セイジが盗んだって言い立てても、証拠なんてないんだから。セイジさえ認めなければ、どんな証拠もないんだから、有罪になんか出来ない。ただ、もしそういう風に言い立てられたら、もっと上の人には事情を説明しておいた方がいいかもね。不注意だったって言われるかもしれないけど、もらったことはもらったんだからそこは素直に認めた方がいいんじゃないかな」
 丁寧に並べられる言葉を、セイジは噛み締めるように聞いていた。それから、最後の言葉を聞き終えるとこくりとうなずいた。真っ直ぐとトクサを見つめて「ありがとう、そうしてみる」ときっぱり言った。
「よし、じゃー飲もう! ロックンも、ほら!」
 一区切りついたことを察して、ミルがそれぞれのグラスに酒を注いでいく。今度はミルが「緑の二年の再会を祝して!」と乾杯の音頭を取り、それぞれが笑みを浮かべながらグラスを合わせる。
「セイジ」
 唇を湿らせてから、ロクショウが名前を呼んだ。セイジの視線を受けながら、至って平坦な顔で先を続ける。
「変な遠慮すんなよ」
 一言だけだった。一言で充分だった。セイジは大きくうなずいて、ミルは嬉しげにロクショウの背を叩いて、トクサはにこにことそれらを見守っている。
 無理に結ばれたつながりで、単なる義務でしかなかった。それなのに、過ごした時間を無視することも出来ないで、なかったことにするには多くの思い出を抱えすぎていた。だから結局こうなるのだ。昔からこうやって過ごして来たのだ。セイジの覚えた不安はミルが見つけて、トクサが話を聞いて解決手段を示す。その時はいつだって、ロクショウが後ろで見守っている。