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Note No.6

小説置場

愁へば

「Operetta!!」

 一歳年上のこの人は天才じゃないか、と思う時がある。今までに何度かその機会はあったが、まさしくこの瞬間、ロクショウはつくづく思っている。――どうしてこの人は、こうもぽんぽん心配の種を拾ってこられるんだよ。
「どうしよう、ロクくん」
 いつもの通りに過ごしていたはずだった。宿泊合宿への付き添いという、遠慮したい学校行事ではあったが拒否出来るはずもなく、結局バスに揺られてきた。気がついたらすっかり着慣れてしまった袴と着物で、馬鹿らしいと思いながらどうにか時間を潰していたのだ。無理矢理笑顔を浮かべることを強要されることがない、という点だけはこの阿呆みたいな集まりのいい所だった。そういうキャラじゃないからいいよ、と言われていなければ、いくら学校に楯突くことになろうが、最後まで抵抗しただろう。
 そういうわけで不機嫌極まりなく(その様子が正にロクショウだよね! などと言われて喜ばれていることを彼は知らない)、どうにか仕事を終えたのだ。くだらないと思いながら手を抜いているとは言っても、何だかんだとこなしていれば疲れもする。今日は夜からの合流だからいいとしても、明日は朝から一日この格好である。糖分でも取るか、と彼らだけのための区画として用意されたバンガローの、多目的ホールで缶コーヒーを飲んでいた時だ。
 同学年としてほとんど一緒に行動していたセイジが現れて、ロクショウの顔を見つけると近寄ってきた。それから、開口一番「どうしよう」と言ったわけである。
「…セイジ、何の話だ」
 全く話が見えないので、ゆっくり問い返す。何事か心配しているんだろう、ということは性格上よくわかっているのだが、一体今度は何を心配しているのか。どうしてこの人は、いつでも心配事が尽きないのか。謎だ。
「うん。私、今日の部活の時、帰るのが一番後だったんだ」
 突然何の話がはじまるのかと思ったが、黙って聞いている。どうやらセイジは、合宿へ来る前にきちんと部活へ顔を出してからこちらへ合流したらしい。恐らく、夜にここへ到着するために、最後まで部活に残っていたのだろう。セイジはぽつぽつと、最後だから戸締りとストーブを消して来るよう頼まれたのだと告げる。もちろんセイジだから、適当に片付けるわけがなかった。
「ちゃんと確認してから帰ったんだけど、でも私あのストーブ消すの初めてだって気づいて。ちゃんと消えてたかな。もしかしたら消えてなかったらどうしようって思って…!」
 それに思い至ったら、いてもたってもいられなくなってしまったらしい。この時間ではすでに学校には人がいないし、誰かに確認してもらうことも出来ない。セイジは不安そうに視線を彷徨わせながら、言葉を続ける。
「ちゃんと消えてなくて火事になっちゃったらどうしよう。それで学校がなくなったりしたら私の所為だ…」
 泣きそうな顔でぶつぶつ言っている。これこそがセイジであると、ロクショウはよく知っていた。いつものことと言えばいつものことだけれど、実際に精神をすり減らしているのだから困りものだ。ロクショウはとりあえず、残っていた缶コーヒーに口をつけた。
「それに、火は消えてるけど不完全燃焼っていうこともあるし…。もしかしたらあのストーブ、不完全燃焼しやすいのかもしれない。古いタイプだったから」
 そしたら最初に部活に来た子が一酸化炭素中毒になっちゃうかもしれない。泣きそうというか、ほとんど涙ぐんでそんなことを言う。ロクショウはそんなセイジの様子を眺めてから、つくづく思った。どうしてこの人は、ここまで心配事を抱えられるのか。実際何かをやらかしたって訳でもないくせに、あっちこっちから心配の種を拾っては不安の芽を育てている。趣味なんじゃないかこれは。
「セイジ、一つ確認する」
 放っておけばいいんだろうとはわかっているのに、つい口を出してしまうのが常だった。何だかんだでロクショウは、今までの誰とも違って素直に心の内を見せてくれるセイジのことを、嫌いきれないでいた。当たり前のように自分のことも、心配事の一つに入れてくれるセイジのことが。
「お前、確認したんだよな」
 ちゃんと火が消えてるかどうかってこと、と続けるとよどみなくセイジがうなずく。「火消してから一回、10分経ってからもう一回」
「で、点いてたのか」
「ううん。火は見えなかったし、金属部分も冷たかった」
 触るなよ、と思ったがそこに突っ込むと先へ進まないので黙る。というか、そこまで確認していて何が不安なのかロクショウには理解出来ない。
「なら平気だろうよ」
 急いで消してきたから、ちゃんと消えたかどうかわからない、とかならまだしも。最初に火が消えたことを確認した上に、時間が経ってからも確かめているのだ。むしろ、それでどうして心配出来るのかの方が謎だった。
「燃え残ってんのに金属冷たいままなわけねぇだろ」
 実際に冷たくなっているのを確認したのだから、燃え残っているはずがない。かすかでも熱があれば、金属部分が冷たいままのはずがない。セイジはほっとしたような顔をしたけれど、「でも」とつぶやく。
「もしかしたらってこともあるし。燃え残ってなくても不完全燃焼してたら、誰かが一酸化炭素中毒に…」
 陰鬱な表情で言うので、「あのな」と唇を開いた。ひとまず、セイジがいたのが部室棟の中の一室であることを確認してから、言葉を続ける。
「あの部室棟がそこまで密閉出来るわけがねぇ」
 隙間風が吹き抜ける部屋しかないのだ。仮に一酸化炭素が充満していた所で、外へ漏れ出すに決まっている。それはそれで若干の問題もある気もしたが、セイジが心配するように一酸化炭素の閉じ込められた部屋に誰かがうっかり入る、ということはないだろう。
「それに」
 一番大事なことを告げようと、ロクショウはしっかとセイジを見据えて口を開いた。これだけは伝えないといけない。目の前の、天才的に心配事を見つけることが上手な人へ向けて。何よりも大切な言葉を。
「セイジが手を抜いた結果じゃねぇんだ。お前はきっちり、細心の注意を払ってた」
 適当に投げやりに行ったのではなく、消火を見届けて、さらにもう一度確認までしている。常識的な行動の結果なのだ。これで何か不備があったなら、よっぽど特殊なストーブか何かに違いない。それなら、古いからコツがいるんだとか、セイジに後を託した教師辺りが注意すべきだったのだ。それもなかったのだから、セイジが思い悩む必要などどこにもない。
「お前はよくやってるよ」
 何を言ってもこの人は結局心配してしまう。一つの不安もない状態にするなんて、とても出来そうにはないけれど。それでもロクショウは思っていた。
「――うん」
 何だか泣きそうな顔でうなずくセイジを見つめながら、ロクショウは心の中でつぶやいている。天才的なまでに心配事を見つけることが上手なあんただから、何もかもを消し去ることは出来ない。だけど、目の前の不安くらいならどうにか晴らしてやるから、ちゃんと頼りに来てくれよ。