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Note No.6

小説置場

Looking about

 廊下を歩いていたら、見知った顔を発見した。別に声をかけるつもりはなかったのだが、何だかきょろきょろと挙動不審だったものだから、思わず声をかけていた。随分俺も面倒見がよくなったなぁ、と思いつつ。
「若菜ちゃん」
 後ろからだったのがまずかったのか、声をかけられた張本人――茶木若菜はびくっと肩を震わせてから、そっとこちらを振り向く。大きな目がおどおどとしていて、それでも目の前にいる人間を認識するとほっとしたような顔になった。
「瀬良先輩…」
 泣き笑いのような表情で、最近それなりに顔を合わせている人間の名前をつぶやく。紫信はその様子をぼんやり眺めつつ、「どうしたの?」と尋ねた。若菜はもごもごとした口調で答える。
「赤園先生を探してるんですけど…」
「成海ちゃん?」
 生徒たちの間で認識されているのかも疑わしい、非常に影の薄い教師を思い浮かべる。余計なことは何も言わず、ただ黙々と仕事をこなしていく姿はある意味天晴れだとは思うが、いかんせん自己主張が弱すぎる。この広い校内で、彼女を探すのはわりと高難度だろう。何せ、存在を認知されていないことが多々あるのだから。
「あー…俺は見てないわ」
「はい。私も見てないんです」
 うなだれつつの返事に、だよなぁ、と思った。見かけていたらきちんとそっちを探すだろう。目の前のこの子は俺と違って、途中で別のことに注意がいってそのままってことはないだろう。そういう子が見つけられないんじゃ、俺も無理だよな。内心でうなずくけれど、そういえば、とそもそもの疑問が頭をもたげた。赤園成海は、数学・情報科の教師ではあるものの、担任は持っていない。確か、二年生の授業にも出ていなかったはず――となると、一体何の用があるというのか。まあ、十中八九アレ絡みだよな、と思いながら口を開いた。
「ってか、若菜ちゃん。どうして成海ちゃん探してんの?」
 本来ならば、ほとんど接点のある教師ではないのだ。授業を教わっていない限り、選択授業くらいでしか顔を合わせることはないだろう。紫信はもちろん、彼女の授業など取っていないので、本来ならばそんな人間がこの学校にいたことさえ知らないまま卒業するはずだった。
 だけれど、一学年下の後輩つながりでどういうわけか関わりを持つことになったのだ。面倒だと思うことは思うが、今までにないタイプの女の子たちとも親交を深められるし、今まで根無し草を地でいく生活をしていた紫信には、若干の目新しさもあった。
 そういうわけで、放課後に視聴覚ルームへ顔を出すこともしばしばあり、気づけばこうしてまるで接点のない女の子とも会話を交わしあうようになっていた。何が起こるかわかんねーよな、としみじみ思いつつ答えを待つ。すると、たっぷり数十秒沈黙してから若菜が口を開いた。ぼそぼそと、聞き取りにくい声。二度、三度聞き返してようやく紫信の耳はきちんと音をとらえた。
「…お菓子?」
 少し大きくなってしまった声に、若菜が飛び上がるような顔で目を見開く。紫信は声を落としつつ、「お菓子って、あれだろ。視聴覚室で食ってるやつだろ」と確認をする。若菜はこくり、とうなずいた。とても大事な秘密を肯定するような顔だった。
「昨日、最後に視聴覚ルームを出たのが私だったんです」
 視聴覚ルームは一クラス全員が授業を出来る大教室から、少人数制のゼミ室、中規模での授業で使う中教室など様々な広さがある。その内、主に使用しているのは人数的に丁度いい中教室だった。基本的に、視聴覚ルームに近い人間が鍵を借りに行っているわけだが、その管理者が件の赤園成海なのである。
「それで、あの、一応飲食禁止じゃないですか」
 ほとんど意味はなさないものの、建前上は視聴覚ルームにおける飲食は禁じられている。しかし、精密機器の類から離れた場所に、どうぞ使ってくださいと言わんばかりの机と椅子があるものだから、そこでお菓子を食べたりジュースを飲んだり、は当たり前だった。さすがに大教室にはそんなスペースがないので、主にゼミ室と中教室のみだが。教師たちも、そこは黙認である。
「だから、ゴミの始末はちゃんとしなさいって言われてたんです」
 いくら黙認しているとは言っても、乱雑に散らかっていてはさすがにマズイ。あまりにもひどければ本格的に禁止にもなるだろうし、それぞれが気をつけているのだ。若菜は「でも昨日急いでて…」と、陰鬱な面持ちで続ける。
「ゴミ箱に入れようって思ったのに、忘れて出てきちゃったんです…」
 気がついたのはバスに乗ってからだったらしい。最終バスのため引き返すことも出来ず、結局菓子のゴミは、視聴覚ルームに放置されることになった。それを早々に片付けようと、鍵を持っているであろう成海を探していたらしい。
 えーと、と紫信は頭を働かせる。どうして成海ちゃんを探してたかはわかった。それはもうよくわかった。つまりゴミを片付け忘れたってことだけど、何でこんな世界の終わりみたいな顔をしているんだろうか。だってゴミだぞ、ゴミ。
「お菓子のゴミっしょ?」
「ゴミです」
 真剣な顔でうなずくので、紫信は唸った。だってただのゴミじゃん。犯罪の証拠でも残してきたわけじゃあるまいし。
「まあそりゃ、ちょっとくらいは怒られるかもだけど、別に平気じゃね?」
 何もそんなに怯えなくても、と思って言ったのだけれど。若菜はいたって不安そうな顔で「そうでしょうか…」と言葉を落とす。紫信は何だか、宇宙人でも見ているような気がしてくる。そりゃ確かに、ゴミを置いてきたのはマズッたかもしれないけど、精々「あちゃー」と思うくらいだ。何せゴミ。ただの食べ終わった菓子のゴミ。残していくことで誰かが死ぬわけでもなし、重大な結果を引き起こすわけでもなし。自分なら絶対に、「すいませんでした」と適当に謝って終了する、という確信が紫信にはあった。
「…ま、白夜でも探してみっか」
 それでも何だか、犯罪の証拠でも握られたような顔をした女の子を放っておくのも気が引ける。雨の中捨て犬を見つけたらこんな気分なんじゃねーのか、と思いつつ、やたら顔の広い後輩の名前を上げた。きっとあいつなら、成海ちゃんの居場所もわかるだろ、と考えながら。