Note No.6

小説置場

ヒナコさんといっしょ。

わたしの傍には、いつもヒナコさんがいる。

より正確に言うならば、傍というのは左肩の後ろだし、いるとは言っても明確に見たことはないから、いるのだろう、とかもしかしたらいるのかも、とかそういうレベルだ。
わたしや、わたしの周りの人間――家族、友人、それに近所の人とか、通行人などのもろもろ――には霊感などというものは存在していないようなので、誰も彼女の姿を見たことはない。わたしもヒナコさんの姿を見たことはない。ただ、頭の中で会話できるだけだ。声も聞こえない。でも、万が一声だけ聞こえていても、わたしにしか聞こえなかったら、口に出して会話なんてしようものなら危ない人になってしまう。だから、その点は良かったかもしれない。
ヒナコさんは22歳の女子大生だ。就職口がなかなか決まらなくて、発作的に自分で死んでしまったのだという。その辺りの事情はあまり語りたがらないので、よくはわからない。でも、見えてなくてよかったね、と言うのでもしかするととてもグロい状態なのかもしれない。電車に飛び込んだとか、飛び降りたとか、その辺ではないだろうか。そうだとすると、もしかしたらヒナコさんは五体満足じゃないのかもしれない。本当に見えなくて良かった。

そもそも、わたしがヒナコさんの存在に気づいたのはつい最近だ。わたしは右利きなのだけれど、なぜか左肩がやけに凝るようになった頃のことだから、あれは3ヶ月くらい前だろう。何かを書きまくったとか、長時間同じ姿勢でいたという記憶も無いのに、どういうわけか左肩がやけに凝る。しょっちゅうぐるぐると左肩を回しているわたしに、友人は「霊でも憑いてるんじゃないの?」と言った。友人もわたしも、本気ではなかった。けれど、考えてみれば思い当たる節がないでもなかったのだ。
まず、根本的に原因が不明だった。わたしはこれでもまだ、10代である。年齢による肩凝りの可能性は低いと思いたい。さらに、10代のくせにロクにパソコンも使えないから、あんなものはほとんど触らない。よくインターネットなんかやる人間が肩凝りになる、というのならうなずけるのだけれど、わたしには当てはまらない。それに、あまり本を読むこともないし、漫画だってたまに読むだけだ。考えられるとすれば運動不足かもしれないが、毎朝全力疾走で学校まで行っているから、わりと体は動かしている。なにより、週に2度鬼のような体育がある。あれに参加していて運動不足になれるような人間がいたら、ぜひお目にかかってみたい。
そして、やたらと犬に吠えられるようになった。好きも嫌いもなかったけれど、ああまで吠えられるとこっちも吠えてやりたくなる。そこは人間の尊厳としてこらえているけれど、考えてみると吠えられるようになったのは、肩が凝り始めてからのような気がする。
それに、あの頃わたしは口に出しはしなかったけれど、しょっちゅう「死にたい」と思っていた。そういう匂いに惹かれて、いわゆる幽霊がやってきたのかもしれない。
明確にヒナコさんの存在を確認したわけではないけれど、頭の中で問いかければ、いつだってどこからともなく答えがある。大体において、しょうもない答えだったりするけれど。いつだったか定期を落とした時には、きっと貧乏な一家が定期を拾って、活用してくれてるよ、人助けだよ、と慰めてくれた。ものすごく微妙な人助けだと思う。
テストの出来が悪くて落ち込んだときも、授業をさぼろうかどうか考え込んで、結局サボったときも、それでテスト前の情報を仕入れられなくて悲惨な結果を招いたときも。よくわからない理屈で、必死にわたしを慰めてくれた。大体、ちょっとピントが外れた論点で慰めてくれるので、「慰める」という点で考えると、ほとんど役に立っていない。でも、おかしいから笑ってしまうので、ある意味では効果はあるのかもしれなかった。

いつだったか忘れたけれど、歩道橋でぼんやりと下を眺めているとヒナコさんが話しかけてきたことがあった。たぶん、その日はすごく気分が沈んでいたから、このまま飛び降りるんじゃないかと恐れたんだと思う。発作的に自分から死ぬ可能性の高さは、本人が身をもって知っているから。
大丈夫? だったか、もう帰らない? だったか、どうしたの? だったか忘れたけれど、おそらくそういう質問をした。わたしは答えなかった。しばらく話しかけ続けてくれていたけれど、反応しなかったら黙ってしまった。
その沈黙の合間に、わたしはヒナコさんにどうして死んじゃったの? と尋ねた。非難がましい響きはこもっていなかったはずだ。でも、なんとなくヒナコさんは悲しそうな声で、やっぱり生きてたほうが良かったかな? と聞き返してきた。死んでるとダメかな? とか。
ダメというか、生きてくれていた方が都合が良かったのは確かだ。何せ、わたしはヒナコさんと話していても、他人からすればぼんやりしているようにしか見えない。だから、話し合いたい時とか、話が弾んでいた時とかに、話を中断されることが多い。まあ、いつでもどこでも会話が出来るという点では便利なのだけれど。どうも、周りの人間にはわたしがひとりでいることを好んで、他人を拒絶するように見えるらしい。そういうところが大人たちに心配されて、余計なお世話といいたくなるようなことをされることもある。これでヒナコさんが生きていてくれたら、その辺は緩和されたのではないかと思う。
そういうことを言うと、ヒナコさんは謝った。別に責めているわけじゃないから、謝られても困ってしまう。
わたしは、もう一度、どうして死んじゃったの? と尋ねた。ヒナコさんは答えない。なかなか就職先が決まらなくてね、他の人は続々決まるのに、もうすぐ卒業なのに、って焦っちゃったんだよ、とヒナコさんはいつも言っていた。でも、大体曖昧で、すぐにこの話はやめやめ、と打ち切ってしまう。
長い沈黙があり、やっぱりあんまり言いたくないのかなあ、とぼんやり思っていた。
しかし、ヒナコさんはぽつんとつぶやいた。悲しそうな声ではなかった。やさしい声でもなかった。ただ、言葉を吐き出して言った。なんかね、死ななくてもいい理由が見つからなくなっちゃったんだ。
わたしは下を眺めながら、そうかぁ、と言った。心の底から納得して、そう返した。ヒナコさんは何事もなかったかのように、いつもの声で、もう帰ろうよ、と言う。ちょっとだけ沈黙を流してから、そうだね、と言って家路に着いた。

就職口がなかなか決まらないというのは、理由の一端だったんだろうと思う。でも、あの時歩道橋の上でつぶやいたヒナコさんの言葉こそが、本当だったんじゃないかと思う。わたしは今でも、あの言葉をしっかりと覚えている。
出かける準備をして、玄関で靴紐をしっかり結ぶ。立ち上がり、姿見の前に立つ。もしかしたら、ヒナコさんが見えるんじゃないかと思いながら。見るのは怖いし、いつも見えていたらちょっと考え物だけれど、少しぐらいは見えてもいい。だから毎回やってみているのだけれど、見えたことはない。今日もやっぱり見えなかった。
ヒナコさんの目的はいまいちわからない。目的なんてないのかもしれない。何でも良い。ただ、わたしが今ここにいる意味や理由を聞かれたら、こう答えるだろう。死ななくてもいい理由があるんだよ、と。わたしはヒナコさんと一緒にいられるなら、けっこう面白そうだから、死ななくてもいいかなと思っている。
ヒナコさんはいつまでわたしと一緒にいてくれるんだろう。わたしのもとからヒナコさんがいなくなったら、それこそ死ななくてもいい理由なんてなくなるに違いない。そういうことを言ったら、ヒナコさんは喜ぶかもしれないし、悲しむかもしれない。それはわからないけれど。
わたしは姿見の前から離れて、扉に手をかける。外の光が差し込んでくる。今日の天気はどうだったろう。
踏み出して、外へ飛び出す。ヒナコさんと一緒に、外へ歩き出す。

わたしの傍には、いつもヒナコさんがいる。