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Note No.6

小説置場

さよなら、マイヒーロー

短編・SS

 こわいゆめ を みた よ


 目を開いて見えるのは暗い天井だった。続いて聞こえる荒い呼吸音が自分のものだと気づいて、思わず自嘲の笑みが浮かぶ。案の定、ぐっしょりと汗をかいていて気持ちが悪い。
 起き上がり、前髪をかきあげる。大きく深呼吸をして呼吸をととのえると、今しがた見ていた夢の内容が段々と遠ざかっていくのを感じる。世界中全ての人間に拒絶されて、伸ばした手を振り払われた。特別何かをされたわけではないというのに、いつまで経ってもこの夢から逃れられない。何かをされたわけじゃない。だけど、言い換えれば何もされなかった。伸ばした手は誰の手をつかむわけでもなく、叫んだ声は誰にも届かなかった。辛いとか、苦しいとか。そう思うことは、随分前に止めてしまったから、何も感じなくなっていたはずだったのに。それでも、きっとどこかで叫んでいたのだろう。声にならない声で、呼んでいたのかもしれなかった。
 手を下ろして何の気なしにベッドへ手をつく。思いの外冷たいシーツに、ぎくりとしてしまった。
 たとえばこんな夜、握り返してくれる手があったことを知っている。とりわけ大きな動作をしたわけでもないのに、怖い夢を見た後には必ず気づいてごそごそと手を伸ばしてくれた。あたたかな手のひらだった。あたたかくて、泣きたくなるほどの温みを伝えてくれていた。
 夢は遠ざかっていたけれど、瞼の奥でひっかかっている。あの手のひらを握ると霧散してしまった悪い夢は、残念ながらまだ残っている。
 声にならない叫びを聞いてくれた人がいた。呼んだ声を無視しないで受け取ってくれた。それがどれだけ嬉しくて、泣きたくなることなのか、上手く伝えられなかったけれど、誰より思っていた。この世界における、たった一つの唯一の光だった。守りたいものはそれだけだった。
 悪い夢を見たら手を握ってくれて、誰より強く抱きしめてくれた人。背中に回された手の温度、合わさった胸から伝わる鼓動の強さ、うずめた首すじの匂い。何もかもを覚えている。知っている。誰よりも何よりも尊くて強い彼のことを、忘れるはずなどなかった。今ここに、その温もりがないとしても。
 まぶたの奥に引っかかる悪夢が、ちくちくと己を苛む。今ここにいない彼を指して、彼でさえも離れていったじゃないかと叫んでいる。耳を塞いでいたいのに、声は絶え間なく叫んでいる。誰も彼もが背を向けた。彼だって、もう隣にいないじゃないか? 今まで通り友人だと言っていたけれど、隣にはいないじゃないか? もうあの温もりはないんだ。
 うるさい、と叫んだはずだがうまく声帯は震えなかった。今までの人間のように離れて行ったわけじゃない。明日になれば、きっと同じように笑い合えると知っている。たまには二人で話すこともあるし、遊びに出ることもある。隣にはいないだけで。何度も言い聞かせてきた台詞だったから、もうわかっていた。こんな言葉に何の意味もないと、わかっていた。それでも言うしかなかった。消し去れない悪夢にじわじわと侵されていることを、わかっているから。
「……、……」
 小さく吐いた息が熱くて、思わず笑った。仕方ないと自分を慰める術も理性も、どこかへ消し飛んでいるような気がした。
 自分の肩を抱いて、暗闇をぼんやりと眺めている。きっと彼は、たった一人の隣にいるのだろう。彼の温もりは一人に与えられるもので、それは決して自分ではなかった。簡単なことだ。
 それなら、もういいじゃないかと思った。当たり前のように、思ってしまった。あの温もりがもうないなら。もう二度と、悪夢を見て差し伸べられる手も回される腕もないというなら。もういいじゃないか。
 彼のたった一人を思い浮かべてつぶやく。後は全部お前にやるから。だから、後悔させるくらい、許してくれよ。

 


さよなら、僕のすべて!