Note No.6

小説置場

Hello, my world!

「準備は出来たかい?」
 突然ノエルが扉を開けて入ってきたので、アークは慌てて席を立った。封筒は背中に隠し、「勝手に入るなって!」と言いながら廊下へ押し戻す。どさくさに紛れて封筒をポケットに入れてから、自分もノエルに続いて廊下へ出る。階段を下りながら「だってなかなか下りて来ないから」と言うノエルにごめんって、と返す。
「卒業式に間に合わなかったら大変だろ。せっかく二人とも招待してくれたんだし……」
 そう言って、目元を細めて笑うノエルは自分より年上とは思えない、とアークは胸中でごちる。この笑顔には昔から弱かったし、怒られるより泣かれる方が辛かった。階段を下りるノエルのつむじを見ながらそんなことを考えていたら、部屋の入り口に立っているサイモンを発見した。いち早く気づいたノエルが駆け寄ると、いかめしい顔が崩れて笑顔に変わる。最初、どれだけ恐ろしい人間かと思ったし、実際厳しい人ではあった。でもそれは、決して理不尽ではなかったし、後々アークの実となったことも確かだ。ノエルに弱いことにかけてはアークよりも飛びぬけていたし、二人でノエルへのプレゼントで悩んだのもいい思い出だ。そんなことを考えながらサイモンの前へ行くと、はっきりと笑みを顔に刻む。
「……そうしているとずいぶん大人に見えるな」
 馬鹿にしているような言葉だけれど、これが褒め言葉であることをアークは知っていた。これで随分損してるんだろうなぁとは思うものの、慣れてしまえばわりと味のある褒め言葉だ。アークは笑顔で「ありがとー」と言いながら、二人の里親へ言葉を返す。
「二人ともかっこいいじゃん。さすがスーツ似合うなあ」
 にこにこと言うと、「親をからかうもんじゃないよ」とノエルが言い「余計なことは言わんでいい」とサイモンが続ける。その様子を見ながら、アークの顔には自然と笑みが浮かぶ。
 この家に来た時、アークは決して簡単な子どもではなかった。毎晩うなされて飛び起きては喚いたりつぶやいたりと忙しく、はっきり言って不気味だろうし放り投げたかったに違いない。それでも、それをしなかったら自分はここにいる。
 アークは深呼吸をすると、二人に封筒を押し付けた。顔を見ないように玄関へ向かいながら早口でまくし立てる。
「ここまで育ててもらったお礼っていうか、なんつーかそういうの。言ってなかったけど実は俺、今日の卒業式で言葉言うんだよね。でもその前に、二人には知っておいてほしかったから」
 決して平坦な道のりではなかった。喧嘩もしたし仲違いもしたし、このままバラバラになるんじゃないかと思った時もある。自分がどうしようもなくて、生きていてはいけないと思ったこともある。それでもここで生きているのは、たぶん、この人たちがいたからだと、アークは誰より知っている。
「もしも二人がいなかったら、俺の世界はたぶんずっとあいつらのままだった。生まれてきたらいけなくて、生きているのは間違いで、さっさと死ねって思われてた。死ぬことだけが望まれて、誰も俺が生きることは望まなかった。生きていてくれてよかった、て言ってくれたのは二人が初めてだった」
 この世界に生まれた。それを否定され、ここに生きていることは罪でしかないのだと、ずっとそうやって信じていた。信じているというより、それが真実なのだと、ずっと思っていた。だから。
「俺にとっての『世界』は、二人から始まってるんだよ」
 二人と会ったあの日。院長先生に連れられて入った部屋の中。押さえきれない笑みを浮かべていたあの日、俺ははじめて世界と出会ったんだと、アークは知っている。