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Note No.6

小説置場

祈り方なんて疾うに忘れてしまいました

 黒い傘を差しながら、小太郎はぼんやりと空を見上げている。重い雲から落ちてくる雨粒は、顔にあたって跳ね返り、アスファルトへと落ちていく。小太郎はただ無言で雨を受けている。このままだとぐしょぐしょになるのだと知っていたけれど、それは今さらだろう。こんなに全身が濡れているなら。
 小太郎は一つため息を吐くと、落ちているランドセルを拾って背負った。手提げ鞄も雨に濡れて、中に入っている道具箱や給食袋も濡れてしまった。とりあえず持って帰って洗ってもらうしかない。事情を聞かれたら隠すのも面倒だし話してしまうだろう。そうしたらきっと、院長先生が申し訳ない顔をするに違いないのが心苦しかった。それは決して、院長先生のせいじゃない。親がいないことなんて、全く持って全然、一つたりとも院長先生のせいではないのに。
 小太郎はとぼとぼと雨の中を歩きながら、養護院への道を歩く。あの角を曲がればもう養護院は見えると知っていて、小太郎は手前にある紫陽花の前で足を止めた。
 雨にすっかり濡れた体は冷えてしまい、開いた手のひらは小刻みに震えている。この体に通っているのは、あたたかい血液だ。幾億も張り巡らされた血管が体中を伝い、酸素や栄養素を届けている。そうして心臓が動いて脳が働き、宇佐美小太郎という人間を動かしている。小太郎はてのひらを握り締める。ここに自分は生きていると知っていた。
(そこまでして生きている意味なんてないのに)
 同じくらいに、小太郎は知っていた。クラスメイトから浴びせられる言葉の所為ではなく、同情をする振りをしながら奇異な目を向ける近所の住人の所為ではなく、おそらく生まれた時から知っていたのだ。生まれ落ちたその命を、要らないのだと判断された瞬間から。理性よりも、本能よりも、もっと深い場所で、小太郎は知ってしまっていた。
 空から落ちる雨を見つめた。この雨に体が溶けて消えてしまえばよかった。いつだって、いなくなってよかった。祈り方なんて忘れてしまっていたと思っていたけれど、本当は最初から知らなかったのかもしれない。