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Note No.6

小説置場

立っている

 何もかもを恨んでしまえたら楽だったのに、と知っていた。
 中々来ない電車をホームで待ちながら、ぼんやりと考えている。しっかりと整列乗車すべく指示された位置に立つ。随分前に高架になったホームからは、駅前の様子が見えている。大きな広告の隙間から見えるのは、駅前のロータリーとそこに停まっているタクシーや、通行人だ。ここからは表情なんて見えないからどんな顔をしているかなんてわからない。
 ちらり、と電光掲示板を見た。電車はさっき行ってしまったばかりだから、次の電車が来るまでは大体十分。事故もないし定刻通りにやってくるのだろう。日本の電車は大変優秀だ。
 私はまた視線を前に戻した。耳に突っ込んだイヤホンからは聞き慣れた音楽が流れてきて頭の中を満たしている。携帯音楽プレーヤーのいい所は、こうやって周りのことが遮断出来ることだと思う。こうしておけば周囲の音を聞かなくて済む。誰かの会話や、放送や、周りにあるいろんなものを遮断してしまえば考えなくたっていい。
 そこまで思って、唇に自嘲の笑みが浮かぶのがわかる。何もかもを無視して、何もかも全部遮断してしまえたらよかったのにね。そんなことは出来ないと痛いほど知っているのは私なのに。
 確かにイヤホンはしているし、そこからは絶えず音楽が流れている。だけれど、別に大音量というわけではないのだ。誰かが話しかけてきたらすぐにわかるだろうし、もしも急な放送があって電車が遅れるということを告げても耳に入るに違いない。そのくらいの大きさでしか、音楽は流れていない。大体、そこまで音を大きくしていたら音が漏れて周りの人の迷惑になるし、放送が聞こえなくて困るのは私なのだということをちゃんと理解出来てしまえる。
 全部放り投げられたら楽だったのになぁ。ふと視線をズラして、広告のかかる壁とホームの天井の隙間を見る。そこからは何にも遮られることなく、生のままの空が見えている。雨が降るでもなく、晴れわたる青空があるわけでもなく、薄曇の空が見える。今日の降水確率は30%だったっけ、と思った。曖昧な空模様からは、これからの天気がいまいち読めない。雨が降るかもしれないし、このまま曇っているのかもしれないし、もしかしたら晴れていくのかもしれない。まあ、どっちにしろ鞄には折りたたみ傘があるのであまり心配は要らないのだけれど。いつだって、折りたたみ傘は入っているから急な雨にも対処出来る。雨が降ったら濡れて帰ればいいなんて、開き直れるはずもない自分のことを、私はよく知っていた。そんな状態で電車に乗ったら思いっきり周りの迷惑だし。洗濯物も面倒くさいし。折りたたみ傘を一本入れておけば、諸々の面倒からは解放されるし、妙な罪の意識を感じなくて済む。そのためなら、傘一本の重さくらいわけがなかった。
 放り投げてしまうとか、誰かの所為にしてしまうとか、そういうことが出来ないのだと誰よりよくわかっているのは私なのだと知っていた。耳から流れる音楽は、聴きなれすぎてほとんどBGMになっている。言葉は上滑りして、頭の中に染み込まない。
 時計を見て、足に力を入れ直す。あと五分ほどで電車はやって来る。そろそろ、後ろに並び始めている人もいる。姿勢を正して前を見た。
 今こうして出かけようとすることさえ、惰性でしかない。わかっていたけど、それじゃあ何もかも止めてしまいます、なんて言えるわけがない。そして、そう言えない自分を誰かの所為にすることだって出来ない。
 だって私は知っている。周りにいる人たちが、決して酷い人間ではないって知っている。時々酷くて時々やさしくて、たまにずるくてたまにとってもいい人だ。極悪人なんかじゃない、毎日適当にだけどちゃんと生きている。嫌なことがあっても笑って、辛くてもどうにか立ち上がる。そういう人だって知っていた。
 恨めるはずなんてなかった。もし私なら? って考えたら、行動の意味を理解出来るし許容してしまえる。仕方なかったって、思う。だって誰もが聖人になれるわけがない。清く正しく、美しく生きていける人間ばっかりじゃないってわかっている。そうしたら、もう私にはどうしようもなかった。狡くて残酷で、思いやりがあって明るく笑える人たちに、責任を押し付けることなんて出来ない。
 だから私はこうして立っている。
 助けてはくれない人たちを、助けられない人間もいるのだと理解してしまえる私は、結局こうするしかない。だって何もかもを恨んでしまえるほど、私は周りが見えないわけではない。そこにいるあなたも、懸命に戦っているのだと知ってしまっているから。自分一人を守るだけでも手一杯だと、わかっているから。

 

(吐きそうなほどの強さで、)
(立っているよ)