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Note No.6

小説置場

Call your name

短編・SS

 君の名前を呼ぶ夢を見た。


 廊下をすれ違う。ちょっとだけ顔見知り、でもたったそれだけのあの子は、軽く頭を下げる。俺は今しがた気づいたみたいな顔をして、のったりと首を動かした。
 それでおしまい。あの子はすぐさま、隣にいた友人へと視線を向ける。俺のことなんて忘れたみたいな顔で、ふいっとすれ違う。
 ほんの一秒。肩と肩が触れてしまいそうなほど近くにいるのに、俺とあの子の距離は一瞬だけ近づいたと思ったら、すぐさま離れていってしまうのだ。もどかしい。でも、手を伸ばした所で意味なんてない。名前なんて呼べない。だって、俺とあの子は精々単なる顔見知りでしかない。…そりゃあ、ちょっとくらい会話したことはあるけども―そんなの、ちょっとした世間話にもならないようなものだけだ。(すみません、これどこに置けばいいですか?ん、そこ置いといて、とかそういう、いわゆる事務的な会話)
 いきなり呼び止められたらきっと戸惑ってしまうだろうし、何より俺が一番困る。呼んだ所で、一体何を言えばいいんだか皆目見当がつかない。天気の話? 最近の景気について? いやいや、すぐに会話がどん詰まりすることは目に見えている。
「……」
 立ち止まって振り返る。廊下の奥へ、だらだら歩きながら遠ざかっていく背中を見送る。
 何話してるんだかしらないが、あんな楽しそうな顔しちゃって。一体何がそんなに嬉しいのか、顔いっぱいに笑顔を広げている。ああ、まったく、それを見ているだけで俺はこんなに、胸がいっぱいになっちまってるなんて、お前は知らないんだ。
 顔を知っているだけ、なのだ。二、三言葉を交わしたことはあるけれど、個人的な付き合いなんて全然ないし。ただ、俺はほんのちょっとだけ。すこうしだけ、あの子の弱い所や泣き顔やらを見てしまっただけ。いつも馬鹿みたいに笑っていると思ってた、その一人でしかなかったのに、あんな顔見せられたらね。
 きらきら、こぼれる涙がとてもキレイですくってみたいと思っただなんて、馬鹿げたことを思っちまっただなんて、誰にも言わないけど。っていうか、俺に見られてたことなんて、きっとあの子は知っちゃいないだろうけれど。だから、あの子にとって俺は、その辺にいる大人の一人でしかないわけで、顔見たら会釈してくれるのも、そんな大人の一人だからなだけであって――。
「…マズイ」
 何かぐるぐるしてきた。このまま思考が行きつく先は、ロクデモナイ所のような気がしたので、俺は頭を振って歩き出す。反対の方向へ、本来俺が行こうと思っていた方へ。
 だけどたぶん、俺の思考はもうすでにどうしようもなくなっていたに違いない。ちらちらと頭に浮かぶのは、あの子の泣き顔。キレイで、でも悲しくて、やっぱり俺は全開で笑ってる方が好きだよ、なんて思う一方で。
「…、…」
 口の中で名前を転がす。一つずつ丁寧に呼んだ。
 誰にも聞かせられない、未だ呼ぶことの出来ない名前。当たり前のようにその名前を呼べる日が来たらいいのに、なんて思いながら。
 俺がお前の泣き顔を知ってるんだって知ったら、お前は俺を意識してくれるかな、なんて。そんなこと考えていたんだから、やっぱり俺の頭は相当参っているようだった。


(なまえを、よびたい)