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Note No.6

小説置場

明日にサヨウナラ

 穂高はつくづく変なヤツだった。いつだって自分の世界の中で生きていて、誰かの言いなりになるのなんて真っ平だって言い張っていた。かといって、頑固って訳でもなくて、いろんな人間とつるんでたし、それが許されるようなやつだった。
「だからってそれはどうよ?」
 フェンスの向こうにいる穂高へ声を投げると、ものすごくあっけらかんとした答えが帰って来る。事の重大さを微塵も理解していない。
「大丈夫だって、今なら受験ノイローゼとかで片付けられるから」
「いや俺が心配してるのはそういうことじゃねーんだけど」
 とりあえずそう答えてみると、穂高がけらけら笑った。まったくお前は心配性だなッ、大丈夫どう見たって自殺だろ! なんて言われても、コイツは一体俺が何を心配していると思っているんだ。
「お前が突き落としたとかそういう心配はないからな! 止めたのに聴いてくれなかったって言っとけ」
「だからそんな心配もしてねーんだけど」
 どういう思考回路してんだよ。ここで心配するのが自分の身の潔白っつーのは、俺とお前がものすごく険悪で顔を見れば殴り合いでもしてる場合じゃないだろうか。いくらなんでも日本の警察そこまで暇じゃないだろう。
 生まれた時から一緒にいて、同じマンションで同じように育って、同じ学校に通って、そりゃ時々ケンカもするけど、仲良いっていうかあれ俺コイツと血つながってないんだっけ? とかたまに本気で思っちゃうような、俺とお前を前にして殺し合いに発展すると思えるほど、想像力豊かで暴走しがちな警官でもいない限り。
「ええ。じゃ、何心配してんの?」
 本気でそう思っている所が最高に性質悪かった。今までずっとこれに付き合っている俺は、改めて考えると中々に人格者なんじゃないだろうか、とふと思う。普通になっちゃってるけど、俺って実は聖人君子かもしれない。愛想も尽かさず、受け入れられるんだから。
「あのな。お前が自殺しようとしたら、止めるに決まってるだろ。心配とかじゃなく」
「何で?」
 ここで怒り出さない俺はすごいな、とぼんやり思った。穂高と付き合っていくコツは、常に穏やかな心を持つことだ。というか、付き合いが長くてちょっとやそっとのことじゃ感情のメーターが動かない。
「お前がいないまんまでどう過ごせばいいか想像がつかねーもん」
 いつも隣にいたのが穂高だ。外に締め出し食った時も、家出した時も、初めてケンカした時も、泣いた時も笑った時も、隣に穂高がいた。穂高のいない世界を、俺は上手く想像出来ないでいる。
「何があったか知らんが、俺のために生きとけ」
 成長するにつれて、いつでも一緒というわけではなくなった。それぞれ自分の世界が広がったし、穂高つながりじゃない友達もたくさんいる。だけど、顔を合わせる機会が減ったといっても、いつでも会えると思えることと、二度と会えないのだというのでは、意味が違いすぎる。
 穂高は黙った。それから、困ったような途方にくれたような、拗ねた顔で「だって」とつぶやく。だって、だってさあ。
「俺たち、未来に脅迫されてるんだぜ」
 真剣な顔だった。冗談じゃないことは理解出来るし、穂高なら突拍子もないことを言い出すから、いつものことと言えばいつものことだ。俺は通常テンションで、どういう意味かと尋ねる。穂高の言動は突き抜けているが、穂高なりの理屈はあるのだ。
「好き放題にやってたり、勉強しなかったりするとさ、絶対言われるじゃん。将来困るのはお前なんだぞって」
 今この時を全力で過ごしたいのに。どんな時だって口にされるのは明日のことでもっと未来のことだ。不確定なそれのために、いつだって頑張れと言われて努力することを義務付けられる。
「そりゃ苦労はしたくないし、不幸になりたいわけじゃないけど。でも、何が起きるかって絶対わかんないから、俺たち脅迫されてるようなもんじゃん」
 未来のために。将来のために。転ばぬように、苦しまなくていいように、泣かなくていいように、頑張れ努力しろ怠けるな。間違ってるとは思わないよ、わかるんだよ、そう言うの。穂高は淡々と、だけどとても切々と言葉を説いた。
「でも。手に入れるためにとか、やりたいことがあるから、とかじゃないじゃん」
 そういう努力ならわかるけどさ、ずっと先に困るから、もっと未来で不幸になるから、だから頑張れって言われたって、そんなのわかんねーじゃん。何で俺が不幸になるって決め付けるんだ? 俺は幸せになれないって決まるんだ?
「未来ってヤツは、痛めつけられたくないなら努力しろって頑張れって、何もかもを差し出せって、脅迫してくるんだぜ」
 俺はそんなの嫌なんだ、と言う瞳は強い。言いなりになることが嫌いで、自分の世界で生きていく穂高だから、本気でそう思っている。俺が言うのは説得の言葉じゃない。穂高がそう思っているならそれでいい。
「じゃあまあ、それでいいんだけど。だからって、何でそうなるわけ」
 穂高の言いたいことはわかったけど、だからってどうして自殺になるんだ。尋ねると、あっさり答えられた。
「こうしたら未来なくて済むから脅迫されなくていいかなって」
 頭を抱えたい。コイツは深く考えないで、死んだら終わりじゃね! 未来に脅迫されることもないし! とか思っての行動だ。この世界でも最高の馬鹿だ。
「馬鹿だろお前。そういうヤツにはな、未来じゃなくて俺が脅迫してやるよ」
 つかつかとフェンスまで近づくと、襟を掴んで締め上げる。わ、苦しいっつーの、とか言っているがそりゃ苦しくしてるんだからそうだろう。
「お前が死んだら、俺はお前じゃないヤツといっちばんに大笑いしてやるからな」
 楽しいことも嬉しいことも、お前と分けてやんねーし、慰める役もやらん。新刊も貸さねーし、部屋のもんは全部俺がもらう。お前のものは全部俺のもんだ。勝手に死ぬんだからそれくらい当然だろ。まくしたてると、「それは嫌だな」とつぶやく。やっぱり馬鹿だこいつ。
「なら、さっさとこっち戻って来い」
 頭をはたいてから襟を離すと、唇を尖らせつつも、がしゃがしゃとフェンスを乗り越えて戻って来た。ちぇ、と舌打ちをしているのは、計画が上手く行かなかったからなのか何なのか。だけど、屋上の扉を開けて階段を下りていたら、後ろの穂高が思いついたらしい。
「あ、俺とお前なら未来だって迎撃出来るんじゃね?」
 心底嬉しそうな声だった。取って置きの思い付きだ! という声だった。未来潰してどうすんだよ、と思わないでもなかったのだけれども。
「脅迫してきたらボコボコにする手伝いくらいしてやるよ」
 こいつがいるなら未来なんてなくたって、きっと俺は満足してしまうんだろうな、と思って答えた。