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Note No.6

小説置場

サンシャインデイズ

 太陽が容赦なく照りつけている。まだ夏には早いはずだが、アスファルトは充分に熱を持ち、辺りの気温を底上げしていた。熱せられたフライパンの上というヤツはこんな風かもしれない、と自転車を漕ぐ郁郎は考える。まだ今なら、精々余熱という所だろうが、本格的に夏になれば思い通りに料理が出来る温度になるだろう。肉を焼こうが野菜を炒めようが、焼きそばを作ろうがホットケーキに取りかかろうが、思いのままに自由自在だ。
 取り留めないことを考えているのは、次第に坂道が急になっていくからかもしれない。容赦のない角度は、座ったままで登り切れないことを郁郎は充分に知っている。立ち上がりペダルを踏み込んだ。一瞬だけ、白いシャツが風を受けて膨らむ。
 衣替えの前であるため、学ラン着用が義務付けられているが、学校を出てまで律儀に守る必要はない。郁郎の自転車のカゴには、薄い鞄と共に丸められた学ランが放り込まれている。一歩ずつペダルを踏み込むたび、じっとりとした汗が浮かぶ。ハンドルを握りしめ、弱音を吐きたがる太ももを叱咤する。後少し、もう少し。最後の一踏ん張りで、どうにか頂上へ到達した。
 先ほどまで重力に引っ張られていたのが嘘のように、すいすいと自転車は進んだ。しかし、すぐに立ち止まらなければならないことを、経験上郁郎は理解している。頂上からなだらかに下った途中に、開かずの踏み切りとでも呼ぶべき箇所があるのだ。案の定本日も、踏み切りは下りたまま。
「おー、間嶋じゃん」
 踏み切りの前には、自転車にまたがった人物が一人。後ろ姿から、クラスメイトの間嶋瑛美であることを察した郁郎は、滑らかに隣に並んだ。
「郁郎」
 ちらり、と郁郎へ視線を投げた瑛美には、汗の気配一つない。恐らく随分前からここで踏み切りを待っていたのだろう、と察した。短いスカートから突き出た白い足は、所在なげにペダルに乗せられている。
「こうも暑いとやってらんないよね」
 やれやれ、と言った顔でつぶやく。郁郎はうなずきながら、自分の鞄を探ってペットボトルを取り出した。すっかり温くなったお茶で喉を潤す。
「間嶋、いつから待ってんの」
「10分から測るの止めた」
 時間わかると余計腹立つからもう見ない、と言い切る。瑛美も前カゴの鞄を漁り、ペットボトルを取り出した。スポーツ飲料をぐびぐびと飲み干している。
「てか、郁郎、カノジョはいいわけ?」
「あー、今日用事あるから先帰った」
「やだ、浮気されてんじゃないの」
 眉をしかめて大仰に言うので、ほっとけ、と返した。いかにもわざとらしい動作は、瑛美が冗談を言う時の癖なのだということを幸い郁郎は知っていた。
「ほら。あいつ、書道やってんじゃん。それの教室」
「あー、今日木曜か」
 納得、という顔をしているのは、郁郎の彼女のことを瑛美もよく知っているからだ。書道部に入っていることも、今も書道教室に通っていることも、毎週木曜日が習い事の日だということも。
「それなのにノートの字が汚いというのはどういうこと?」
 私のノートの方がよっぽどキレイなんだけど、という言葉に郁郎も重々しくうなずいた。
「謎だよな。時々俺の方が上手い」
「ないわー。郁郎より字下手とか、ないわー」
「うるせえよ」
 苦笑いで答えれば、瑛美も肩をすくめた。踏み切りはまだ下りたままで、一向に開きそうな気配がない。
「相変わらず開かねぇ」
 知ってはいたものの、思わず口に出してしまう。二人とも、この踏み切りが開かずの踏み切りだということは充分承知しているので、苛立ちというよりも単なる確認作業といった意味合いが強い。
「郁郎、あんたちょっとどうにかしてくんない?」
「どうにか出来るならとっくにどうにかしてるわ」
 何だ、一体なにをすればこの踏み切り開くんだよ、と尋ねる。瑛美は、それはもう嬉しそうに笑った。強い光も弾き返してしまいそうな。
「ちょっとそこのバーをくぐって、来る電車を止めてきたらいいと思う」
「死ねと?」
 郁郎が電車止めてる間に渡っちゃうからー、と呑気に言ってのける瑛美に反射的に突っ込む。いたって普通の人間である郁郎なので、電車を止める芸当など出来ない。しかし、瑛美は真剣な顔で口を開いた。
「え、郁郎なら出来るよね?」
「何その、常識だよね? みたいな顔」
 出来ません、俺死んじゃいます、と神妙な顔で告げる。瑛美はからからと気持ちのいい笑い声を立てた。
「それじゃ市議会議員に立候補してどうにかしてよ」
「一気に現実的になった」
「私はいつでも現実的な女ですので」
 ふふん、とすまし顔で瑛美は答える。現実的な女はそこのバーくぐって来いなんて言わねぇよ、と答えたら「最もだ」と返答された。
「それじゃ、せめてうちの学校移転しないかなー」
 ハンドルにもたれかかりながら、瑛美がつぶやく。郁郎も同調した。二人の通う高校から、自宅までの通学路にこの踏み切りがある。校内でもこの踏み切りを利用するのは、二人の地元くらいのものである。それ以外の道を通ると、やたら遠回りになってしまうのだ。朝は遅刻がかかっているため、そのやたらと遠い迂回路を利用しているのだが。
「もうさ、隣に越して来てほしい」
 そしたら毎日遅くまで寝てられるのに、とぼやいた。確かにそれは瑛美の言う通りだ、と思った郁郎は心からうなずく。