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Note No.6

小説置場

まなみと梨沙子

 まなみと梨沙子の出会いは遅い。まなみは生まれた時からここに住んでいるので、もちろん地元の旧家である栖斐(すい)家のことは知っていた。年が同じ女の子と男の子、双子の姉弟がいることも、当然耳に入ってくる。しかし、噂話で耳にすることと、実際に出会うことでは意味が違う。
 二人の最初の接点は小学校だ。公立小学校への進学は、一般人であるまなみにとっても当然であるし、地元旧家の栖斐家としても、出来得る限り地元に根を張らせよう、という判断らしく、私立小学校ではなく、公立小学校への進学を選んだ。
 この時点におけるまなみの印象は、小学校になってから新しく合流した面子の一部、という認識だ。保育園組のまなみは、小学校に入ってから幼稚園組と顔を合わせることになり、どうやら自分の知らない人間がこの世には大勢いるらしい、ということを知った。栖斐家の双子もこの例に漏れなかった。もっとも、この二人は自宅で教育を受けており、幼稚園には通っていなかったのだが。
 まなみと梨沙子の出会いが遅いものになったのは、同じクラスになることがなかった、という点に理由がある。栖斐家の双子はなにかと噂になることが多い。そのため、クラスが違っていても、顔はもちろん何のクラブに入ったのか、係はどうしたか、今日の服装はどうか、などということまで知ることになる。ただ、同じクラスにでもならなければ、それぞれの存在を認めるに至らない。まなみは一度、弟の実佐都と同じクラスになったことはあるものの、男と女では話をすることもなく、クラスメイトの一人という認識を持っただけだった。
 興味があれば自分から近づくこともあったかもしれない。ただ、まなみは特別栖斐家の双子に関心がなかったし、双子の側もあまり周囲と打ち解ける風ではなかった。そういわうけで、まなみと梨沙子の出会いは中学に持ち越されることになったのだ。
 小学校とほぼ同じ面子が進学した中学校で、まなみは初めて梨沙子と同じクラスになる。最初は単純に「ああ、今度は栖斐家の姉の方と同じクラスになったな」という認識でしかなかった。元々、クラスには少なくとも一人以上、栖斐家の双子の世話をする人間が現れる。卑屈な立場というより、気づいたら何となくそんな風になる、という感じで、誰もそれがおかしいと思わなかった。からかったり嫌な顔をしたりする人間もいない。それは大体、地元でも栖斐家に次ぐ家柄の子どもだったので、至極当然のことだと思っていたのだ。
 だから中学に入った時も、そうやって栖斐家の双子の世話焼きが現れるのだろう、と誰もが思っていた。特に、栖斐家のお姫様と称される梨沙子は身の回りの世話をされるのは当たり前、という人間だ。かしずかれることに慣れきり、疑う余地など持っていない。そういう世界に生まれついた人間は、世話をすることに疑いを持たない階級と共に、暮らしていくはずだった。薄らと、それでも確かに、一般庶民と線引きされた世界の住人なのだから。
 まなみもそれを疑っていなかった。卑下するのではなく事実として、栖斐家と自分の家は別格だ。アリとゾウを同じスケールで語ろうとしないのは、差別ではなく純粋に大きさが違いすぎるからに他ならない。アリの食事量とゾウの食べる量がイコールではないからと言って、目くじらを立てる方がおかしいというものだ。そういうわけで、クラスメイトの一人として普通に接していく、そのつもりでしかなかったのだが。
 中学校生活にも慣れ始めた頃、放課後の教室にまなみが赴いたのに、特別な理由はない。置きっぱなしにしている英語の副教材を持って帰り忘れたことに気づいたからだ。出席番号的に、翌日当てられる確率が高かったので。
 部活帰りだったので日はすっかり傾いている。誰もいないと思った教室には、先客がいた。外の明かりでぼんやり照らされた人間が誰なのか、目を凝らしたまなみは、すぐに理解した。二人きりで話したこともない相手だ。栖斐家のお姫様――栖斐梨沙子である。
 自分のロッカーから副教材を取り出したまなみは、そのまま帰ることも出来た。しかし、教室に人が入ってきたにも関わらず、一向に気にしない様子やら、微動だにしない姿勢が気になった。やたら姿勢がいいけど、もしかして寝てるのか、と思ったからだ。このまま放っておいてもよかったけれど、こんな時間まで眠っている栖斐家のお姫様を放って帰ると、後が面倒くさそうだ。どうして放って帰ったんだ、とか言われたらたまらない。
「……栖斐さん?」
 一応声をかけた、という既成事実を作っておこう、という動機だけで声をかけた。たぶん寝てるんだろう、という予想に反して梨沙子はまなみへ顔を向けた。薄い明かりの下でもはっきりわかるほど、整った面差し。こんなに近くで見たのは初めてだ、とまなみは思う。本当に人形みたいにきれいだ、とも思う。
「穂倉さん」
 耳に心地のいい、涼やかに空気を震わせる声だった。まなみは、梨沙子が自分のことを認識していたことを意外に思いつつ、問いを重ねる。声まで楽器のようだ、と思いながら。
「帰らないの?」
 もう外暗いけど、と尋ねれば、梨沙子は首をかしげた。不思議なことを聞かされたような、理解出来ない言葉を耳にしたような顔で。
「誰も迎えに来ないんだもの」
 一人じゃ帰れないわ、と続くので、まなみは納得した。恐らく迎えに来る人間がいるのだろうけれど、何らかの事情で遅れているのだと思ったからだ。それで教室で待っているのだと解釈した。
「お家までの道のりなんて、私わからないわ」
 誰かが連れて行ってくれなくちゃ帰れない、と平然とした顔で言い出す。まなみはつい、思ったまま尋ねた。
「栖斐さん、家までの帰り道、わからないの?」
「わからないの」
 あっさり肯定されて、まなみは黙った。ちょっと引いた。中学生にもなって家までの道がわからないってどういうことだ。ものすごく遠い場所から通ってるわけじゃないし(小学校と同じように、地元公立中学に進学しているのだ)、大体栖斐家なんてここから目と鼻の先にあるんですけど。100歩譲って迷ったとしても、あんなでかい家見失う方が難しいんですけど。
 若干引きつつも、それじゃあ誰かに迎えに来てもらえるよう、電話とかしたら? と助言してみた。噂に聞く限りじゃ、栖斐家のお姫様は容姿端麗頭脳明晰のパーフェクトなお姫様のはずだけど、いやむしろこれ頭弱いんじゃないのか、と思いつつ。すると梨沙子は首を振った。
「携帯電話が壊れちゃったの」
 ずっと画面が真っ暗なままで、全く反応しないのだと言う。今までのまなみなら、素直に電話の故障を信じただろう。しかし、薄々とまなみは気づき始めている。
「栖斐さん、最近充電したのいつ?」
「充電ってなに?」
「……」
 十中八九電話の故障ではなく、単なる充電切れだろう、と結論付ける。諦めて放って帰りたい所だったが、このままでは朝までここにいかねない、とまなみは思った。そんなことになれば、栖斐家では梨沙子の誘拐事件に発展しかねない。すると、全てが判明した時に放って帰ったまなみの行動が問題視されるに違いない。
 こうなれば、まなみの取るべき行動は一つしかなかった。とりあえず職員室前には公衆電話があるし、それで家に電話をしてもらおう、と結論を出す。その旨を告げれば、公衆電話が理解出来なかったらしいので、まなみは引きつった笑みを浮かべた。