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Note No.6

小説置場

「有事の際には我らも一枚岩になるなどというのは幻想だ!」
 背筋を真っ直ぐ伸ばした隊長が、軍靴を高らかに鳴らして扉を開けると、きっぱりと言った。直立不動の僕たちは、後ろに手を組んだまま、隊長を見つめる。隊長は相変わらず不適な笑みを浮かべたままで言葉を続ける。
「緊急事態になれば――亡国の危機にはさすがに――などと言われてきたが、そんなものは妄言も甚だしい! 戯言だ! 決して達成されない幻想だ。それを信じるのは勝手だが、行動の軸とする者は愚者と呼んで差し支えない!」
 よく通る声だった。はきはきとしていて、言葉はよどみなく耳へ届く。強い口調ではあるものの、決して荒々しくはない。力強さを感じても、粗野な様子は微塵も浮かんでいない。ただ生命力だけを象徴するようで、いっそ清々しささえ覚える。こういう物言いが出来る、ということも隊長の天賦の才なのだろう。頭の回転が早く、鋭い思考能力を持ちながら、それを適切に表へ出すことが出来なかった、それだけで追放された人間のどれだけ多いことか。
「緊急事態に陥った時、上層部はどう動くか? 保身に走る者がいるだろう。いち早く逃げ出す者がいるだろう。次を見据えて敵に取り入ろうと動く者もいるだろう。迎え撃とうとする者もいるだろう。我らの属するこの共同体は、決して統率された行動など取らない」
 薄々と勘付いていたことを、隊長はあっさりと口にした。一応基本理念として掲げられているのは、「国民のため」であり「国防のため」であるからして、僕たちの行動は統率されてしかるべきなのだけれど。そんなものがただの口先だけだなんてこと、僕たちはもちろん、国民こそがよく知っているだろう。誰もわざわざ口に出さないのは、当たり前のことすぎるからだ。
「我らは一枚岩になどならない!」
 某かの宣言のように、隊長は言い切る。それは基本理念の否定であり、ともすれば絶望的と言っても差し支えない言葉かもしれなかった。それでも隊長は、胸を張っていた。これから、何か素晴らしいことが始まるのだと、確信しきったような顔をしている。
「危機に陥った時、周囲は右往左往とするだろう」
 預言者めいた口調で続く言葉は抽象的ではあったが、思い描いていることが何なのかは想像に難くない。年を追うごとに緊張感を増していく隣国との関係だとか、周辺海域に出没する新興国の脅威だとか、具体的事案をシミュレートする材料には事欠かないのだから。
 何より、ここ最近の諜報部から上がってくる情報を知っていれば、言いたいことなどすぐ理解出来る。僕たちの国は今正しく、瀬戸際にいる。
「上層部の一部は我らに縋ってくるだろう。今までの発言など忘れた顔をして、掌を返してくる。厚顔無恥が信条の人間たちだ、それは致し方ない」
 普段から「原始動物」だとか、「高尚な理念が理解出来ない無能」とか、「力で全てを解決する野蛮人」とか、散々言われている訳だけれど。いざって時は、単純な力こそが全てだということを、恐らく知っている。だから、随一の戦闘力を誇る僕たちに縋りつく、という選択を易々と実行するだろう、と目されている。自己保身のためなら信念など投げ打つ、それが彼らの信条だ。
「それでは、我らは一体どう動くか?」
 変わらない口調だった。相変わらず淀みなく、強い調子で吐き出されて、今までの声と何ら変わることのないトーン。それでも、僕たちを見渡した隊長の目には、確かな光が宿っていた。声の奥に滲み、深い場所から湧き上がるような。荒々しい獣の光。
「何度でも繰り返そう。我らは決して一枚岩になどならない!」
 だから、と隊長は続けた。僕たちをはっきりと見渡して「諸君の行動を、私は何一つ否定しない!」と言い切った。僕たちはただ隊長を見ている。
「この機会に上層部へ取り入るのもいいだろう。命を助けたとあらば、後々の発言力は大きくなる! はたまた、家族の下へ向かうのも良しとしよう。どうせ最後だ、好きな道を歩むといい!」
 普段の隊長からは全く想像の出来ない言葉だ。規律を重んじ、違反者には冷酷とも言えるほどの処罰を下す。上官の命令を絶対とし、歯向かう者や口ごたえした者、自分の意見を表明するだけで徹底的に叩きのめされる。その隊長が、己の自由裁量に任せる、だなんて宣言するのは、それこそ天変地異でも起きるんじゃないか、という事態だ。
 そこまで思って、自分の思考を嗤った。天変地異? そうだ、間違っちゃいないじゃないか。僕たちがここでこうして集合しているのは、敵からの宣戦布告に備えるためだ。天変地異とさして変わらない。確実に世界は様相を変えて、今までの安穏は終わるのだ。僕たちはもうずっと、開戦前夜に生きているのだから。
「死にたくなければ逃げるがいい! 敵を殲滅出来ないのであれば去るがいい! それは決して敗北ではない! 栄光ある決断だと呼んでやる!」
 高らかに宣言した隊長は、一つ呼吸を置いた。それから浮かんだのは、一種凄惨とも言える笑みだった。純粋な愉悦と、圧倒的な意志の強さに彩られている。覚悟した者の笑みだ。起こりうる全てを、想像を絶する事態さえも受け入れて、何もかもを呑み込んだ者だけに許される。薙ぎ倒され、奪い去られるような笑み。
「私は、決して逃げない!」
 隊長は続けた。国民を守るため? 国防を担うものとしての責務? 敵への憎しみ? 大切なものを奪われないため? 否、否、否! 全て否だ、そんな理由じゃない!
 きっぱりと言い捨てた隊長は、真っ直ぐと前を見つめていた。恐ろしいほどの輝きを放ち、呼吸することさえ忘れてしまいそうだ。
「そんなご大層な理由など持っていない。崇高なる思いも、真摯なる理念も、私は持ち合わせてなどいないのだ」
 それなら何が私を動かすか? 簡単な理由じゃあないか。くすぐったそうな視線で、思わずこぼれてしまったという笑みで、隊長は言った。叫ぶような声ではあったけれど、それはひどく落ち着いた言葉だった。
「私は、英雄になりたいのだ」
 幼い頃の夢の続きを叶えようとしているに過ぎないのだと、隊長は言った。馬鹿な理由だと笑わば笑え。くだらないと後ろ指をさすがいい。淀みのない口調で隊長は続ける。
「英雄であるために、私は決してここを退かない。逃げてしまえばそれだけで、私は私を永遠に、後ろ指を指し続けなければならないからだ!」
 隊長はそれだけ言い放つと、再び僕らに視線を向けた。強く射抜くような視線で、それでいて愉快そうな雰囲気を滲ませて、今まで見た中で一番真摯な顔をして。
「覚悟のある者だけが残れ!」
 凛とした言葉だ。隊長は背筋を正した。僕たちを見渡して、腹の底から声を発する。きっと僕らはその言葉を知っている。
「私と死ぬ覚悟をしろ!」
 答えるべき言葉など、最初から一つしか知らない。これしか知らない。これしか要らない。踵を合わせて、最敬礼の姿勢を取る。答えは一つ、ただこれだけ。怒号のような地響きで、僕たちは隊長へ諾を返す。