Note No.6

小説置場

みちる

 泣きそうな気持ちになる時がある。悲しいわけではないのだけれど、ただ胸がいっぱいになってしまう瞬間が、不意に訪れるのだ。そうするとわたしは、何だか無性に泣きたくなる。どうしてだろう。心の中がいっぱいになって、こぼれだしてしまうのだ。それは静かに訪れる。ゆっくりと、たくさんの瞬間を重ねて、そうして次第にいっぱいになってゆく。きっと誰も知らない。誰一人気づかない。だけれど、わたしの心にひたひたと満ちるものがある。そうして、あふれていきそうなものを抱えて立ち尽くしているのだ。
 確かな形はないのだけれど、これはきっと水のようなものなのだと思う。きらきらと透き通って、光をはじいている。きらきら。きらきら。そのまばゆさは、もしかしたら星にも似ているかもしれない。満天の星空、降るような星々が、胸に落っこちてきたみたいだ。たゆたう水の中、あちこちできらきらと光っている。
 わたしはこれを一体どうしたらいいのか、よくわからない。あふれだすままにしていいのか、それとも必死で押しとどめるべきか。はたまた、こぼれるものを掬い取ってみたらいいのだろうか。どうすればいいのかわからず、わたしはいつもうろたえてしまう。胸の中に満ちてゆく。心いっぱいにあふれてゆく。こんこんと湧き出る泉のように、さあさあと降る恵みの雨のように、わたしに沁みてこぼれだしてゆくものを、一体どうすればいいんだろう。せめてもの手段として、こうして言葉にしてみるのだけれど、果たしてうまく伝わっているのかわからない。
 ほとんど何もわからない中で、一つだけ言えるのは、これはきっとうつくしいのだということだろうか。実際に手に取れるわけでも、目に映すことが出来るわけではないのだけれど、胸をいっぱいに満たすものは、一等にうつくしいものなのだ。わたしが持っているものの中で、恐らく一番きれいなものだと思う。ひたひたと満ちてゆく、たっぷりとたゆたうこれは、とてもうつくしいのだと、たぶんわたしは知っている。誰かに教えられたたわけではないけれど。知識や体験として得たわけではないのだけれど。気がついた時には知っていた。どんな形にもならないのに、これは何よりもうつくしいものを集めて出来ているのだと。
 わたしはそれを言葉にした。胸に降り積もるものたちに、どうにか形を与えてみた。それはお話になり、たくさんの命が生み出され、わたしの中で芽吹いていった。豊かな成長を遂げ、わたしを動かす力にさえなった。わたしの中の、一等にうつくしいものたちは、少しずつ形を得て、別の誰かの心に根付いているのだと思う。それは、とても幸福なことだ。きれいなものを、うつくしいものを、掬い取って分かち合う術を、わたしはずっと持っていたのだ。
 言葉にしようと思う。あふれだす心を、わたしの中に満ちてゆくものたちを、言葉にしてゆこうと思う。それは、お話に託すだけではなく、わたし自身の言葉としても。
 伝えたいな、と思ったのだ。もちろん、お話の中の彼や彼女に出会いたい。あの子たちの冒険を、心模様を、傷つきながらも立ち向かうその背中を、懸命に生きていくその横顔を、溢れ出す愛おしさを、形にして誰かに届けたい。だけれど、それだけじゃなく、わたしは望んでいるのだと気づいたのだ。
 わたしは、わたしの中にある、このきらきらとしたものを、伝えたかった。こんな風にきらきらとしたものの欠片を集めて物語にしたよ。胸いっぱいに満ちてゆくものたちを取り出して、そうしてお話を紡いできたよ。それはとても誇らしく、尊く、心躍る素敵なことだったと思う。だけど、それだけじゃなくて。掬い取ったものだけでも、分かち合うだけでもなくて。
 ねえ、あふれだしそうなんだよって、言いたい。
 誰かに伝えたかった。こんな風に、胸がいっぱいになる瞬間はある? って。こぼれだしてしまいそうだって、心の中がこんなにもいっぱいだって、言いたい。きらきらとしたものが、胸いっぱいにあるんだよって。どうしようもなくなって泣き出しそうになってしまうくらい、きれいでうつくしいもので、はち切れてしまいそうなんだよ。悲しいんじゃない。辛いのでも苦しいのでもない。ただ、どうしようもなくきれいなものでいっぱいになって、泣いてしまいそうになるんだ。
 そういう話を、誰かとしたい。わたしの心の切れ端を、ほんの少し見せて、「そうなんだね」ってうなずいてほしい。同じじゃなくていい。同じように感じなくたって、全然いい。理解出来ないかもしれない。何のことなのか、まるでぴんと来ないのかもしれない。それでも、ただそういう話をしてみたい。
 そうして、出来ることなら。あふれだして、こぼれてゆきそうなわたしを抱えて立ち尽くした時、うなずいてほしい。知ってるよって。胸がいっぱいになって泣き出しそうなんだねって、ただそこでうなずいてほしい。こんな心を抱えたわたしのことを、目いっぱいにうなずいてほしい。それはきっと、どうしようもなく純粋な、どうにかなってしまいそうなほど満ち足りた幸福の形なのだ。