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Note No.6

小説置場

アメイジンググレイス

 神様っていると思う、と聞かれた。欄干に寄りかかったまま、川向こうに沈んでいく夕日に照らされた竹花は、わたしを見ずにそう言った。滑らかな、とても平坦な声だった。それは、竹花らしい口調ではなかった。普段の彼女は、いつも嬉しそうにしていて、愚痴や文句を言う時でさえ、何か取って置きの秘密でも打ち明けるような空気をにじませているのに。彼女の話す言葉は、いつだって音楽のような響きをして、聞く者の胸を弾ませていたのに。だけれど、たった今放たれた言葉には、どんな胸躍らせるリズムも潜んでいなかった。
 神様っていると思う、ともう一度聞かれた。わたしが返事をしないのは聞こえていないからだろう、と思ったのかもしれない。今度の声は、平坦さにわずかな感情が混じっていた。どんな苛立ちもない、単純な気遣い。どうして答えてくれないのかと詰問する響きもなければ、早く答えを返してほしいと急かす素振りもない。ただ純粋に、自分の声が小さかったのかそれともわたしの体調が良くないから聞こえていないのかなぁ、平気かなぁ、と思っているだけらしかった。その様子に、ああ、それはとても竹花らしいな、と思った。
 竹花は不思議な女の子だ。特別面白いことを言うわけでもないし、飛びぬけて頭がよいということもない。運動をやらせても、足を引っ張らない程度ではあるが活躍することもない。とびきりの美人でもなく、カリスマ性があるわけでもなかった。彼女は至って普通だった。どこにでもいそうな、ありふれた女子高生。だけれど、クラスの人間は何だかみんな竹花のことが好きだった。
 何も知らない人間がうちのクラスを見たって、竹花のことには気づかないと思う。遠くから見てわかるようなはっきりとした目印を、彼女は持たない。クラス内における様々なグループの内、彼女が属するのは至って地味なグループだ。クラスの中心たる、活気あふれるグループにはいないから、よく目を凝らさなければどこにいるのかなんてわからないと思う。だけど、クラスの人間はみんな、竹花が好きだった。その「好き」は、ファンクラブのような熱狂とも、大好きだと声高に叫ぶ情熱ともちょっと違っていて、至って地味な、穏やかなものだった。あの子何かいいよね、とか、何となく好きだな、とか、そういう。好きと嫌いの割合をはかれば、いつだって好きが過半数を超えているというような、ゆるやかな「好き」だった。
 そういう風に好かれている竹花は、クラスの中心人物というのとはちょっと違う。何か面白いことがあったらいつもそこには竹花がいる、とか。みんなが笑顔でいるならば、その時はいつも竹花の存在があったのだ、とか。そういうことでは、全然ない。
 不思議な女の子だ、と思う。竹花は周りの人を巻き込んで、何かとても素敵なものへみんなを引っ張っていくような、そういう力強さとは無縁だ。どう考えても、地味で大人しい、目立つことなくひっそりと毎日を送っている女子に違いない。だけれど、それでも彼女は、間違いなくクラス中から、少しずつ好意を受け取っている。
 神様、とわたしは言う。しかしそれは、聞こえていないわけじゃない、ということを伝えるためだったから、何て答えればいいかわかっていないわたしは、続きの言葉を口にすることが出来なかった。ゆったりと沈黙が流れる。真下に見える川と同じように、ゆるやかに。
 神様、と竹花は答えた。そう、神様の話、と言った。やっぱりそこには答えを促す気配は微塵もなくて、ただわたしの言葉を肯定しているだけだった。欄干に寄りかかる竹花。夕日と同じ色に染まる、見慣れた横顔。それを見つめながら、わたしは何だか泣きたい気持ちになる。不思議な女の子。わかりやすくはっきりとした魅力があるわけじゃないのに、色んな人から好意を向けられている竹花。やさしい気持ちを、たくさん身に受ける竹花。本当は知っている。どうしてなのかなんて、わたしが一番知っている。不思議なんて、本当は一つもないのだ。
 わかんないよ、とわたしは言った。神様がいるかどうかなんて、わたしには全然わかんないよ。
 その言葉を口にしながら、わたしは竹花の答えをほとんど正しく予想していた。竹花はうなずく。竹花はわたしの答えを、決して否定しない。だからわたしは、「わからない」と答えられる。竹花がどちらを望むかわからなくて、いると思う、とも、いないと思う、とも口にできないわたしに、「わからない」と答えることを許してくれるから。
 そっかあ、と竹花は言った。初めてわたしの方を見て、竹花は言った。そうだよねえ、わかんないよねえ、と。夕日を受けてゆらゆらと揺れる瞳を細めて、とてもきれいな笑顔で言った。そうして、その笑顔をそのまま形にしたみたいな声で、わかんないこと聞いちゃったよねえ、と続ける。わたしはその声に、輝きを溜めた瞳に、泣きたくなりながら思っている。
 竹花は不思議な女の子じゃない。クラスのみんなから好意を受け取っているのも、誰もが彼女を好ましく思うのも、至極当然なことなのだ。みんなきっとわかっている。ある者ははっきりと、ある者は言葉にならない場所で、ある者は気づいていない内に。みんな知っている。みんなきっとわかっている。竹花は決して否定しない。竹花はいつだって、何もかもを肯定する。どんな醜い言葉も、どんな汚らしい感情も、胸を張れない思いも、捨て去ってしまいたい衝動も。竹花は眉をひそめることもなく、そっかあ、そうなんだあ、とうなずいてくれる。それを知っているから、わたしたちはいつも彼女に甘えてしまえるから、クラスの人間はみんな、竹花が好きだった。
 竹花は、とわたしは聞いた。竹花は、神様っていると思う。
 わたしの言葉に彼女は、一瞬だけ目を瞬かせた後、すぐに顔いっぱいに笑みを広げた。きらきらとした輝きをはち切れんばかりに詰め込んだ、いつもの竹花らしい表情。そして、同じものを抱いた声で、はっきりと言った。
 いるよ。きっと、神様はいるんだよ。
 あまりにも確信に満ちた声に、あまりにもはっきりとした物言いに。わたしは思わず笑みをこぼし、まぶしい気持ちで竹花を見つめたまま、どうしてそう思うの、と尋ねる。わずかにからかいめいた響きを持って。ああきっと、竹花が身に宿す快さは、きっとこういう所から来ているんだろうな、と思いながら。
 竹花は答える。はっきりと、当たり前の真実を口にする素振りで。理由なんて簡単だよ、だって、と言って竹花はわたしを指す。だってあなたに会えたから。