Note No.6

小説置場

釣りをするひと

 しゃわしゃわと、蝉の声が降って来る。まだらに落ちる光の模様を眺めながら、ペダルを踏む足に力を込めた。汗が顎から滴って落ちていく。自分の息の音が聞こえる。蝉の声が耳の奥で鳴るみたいだ。緑を挟んでいるといっても、太陽の威力は充分だった。どうして、と思った。どうして僕はこんな所で自転車なんか漕いでるんだっけ。
 ぼんやりした意識のままで、全ての発端へと思考を飛ばす。昨日の放課後、生徒指導室。思い返せばすぐによみがえる。すっかり見慣れてしまった、生徒指導室の壁と、担任、学年主任――それから、横に座っている二人。
「いい加減にしろ、お前たち」
 学年主任は、どなりつけるにしては静かな調子で声を出す。ある意味弱々しくて、絞り出しているような声だ。僕たちはいつもの通り、だんまりを決め込む。担任は眉を八の字にして「そんな難しい話じゃないでしょう?」と尋ねてくるけど、僕たちの態度は変わらない。黙ったまま、ただ時間が過ぎるのを待つだけだ。
 だっていくら言っても理解してくれないし、そもそも理解する気のない相手を前にして、何かを言う方が無駄ってものだろう。このやり取りだって何回も繰り返しているから、この後の展開だってよくわかっている。
 ずっと無言の僕たちに比べて、先生たちは忙しい。こちらだけに構っていられるわけじゃないし、あんまり遅くなっても親が心配する。だから、拘束時間は短くて済む。何を言っても、諭したり論破したしりようとするだけで、「それもそうだな」とか「それじゃ仕方ない」とかいう結論にはならないのだ。それなら、黙ってやり過ごす方がどう考えても楽。
 というわけで、いつもの通り時間切れを迎えた先生たちは、「いい加減にしてくれよ」と言い残して指導室を出て行った。その台詞を言いたいのはこっちの方だ。部活に入らないことでそこまでしつこく構われるなんて、本当にいい加減にしてほしい。
「……はー。今日も頑張るよなー」
 先生たちがいなくなったのを確認して、一緒に居残らされている一人が言った。薙雄也。運動神経抜群、どんなスポーツも大好きで、アウトドアもたしなむという。どの部活も面白そうで、入りたい部活が定まらない。
「まったくだ。諦めれば円満解決なのだが」
 無表情に同意をするのは、やっぱり一緒の居残り組みで、守井貴之。成績はトップクラスで、いつでも成績優秀、ガリ勉というより頭を使うのが趣味って感じ。部活のレベルが低すぎて、入る気力が失せたらしい。自分で実験した方がマシ、という結論だろう。
「だよねー。何でそこまでこだわるかなぁ」
 僕も同意する。強制加入ってこと自体おかしいと思うけど。部活やってない人間を説得するより、もっとやることあるんじゃないかなって思う。ちなみに僕は、入りたい部活がないのでパスしている。
 三人で深いため息をつき、週明けも呼び出しだろうなぁ、と結論付ける。まあ、そこまで意地張らないで適当に入部して幽霊やってる方がいいんだろうなって思うけど、何かもうここまで来たらそれすら無駄な気がしてきた。それ以外にも理由はあるけど。
「あ。なー、歌崎と守井。明日ヒマ?」
 突然薙が言った。僕と守井は首をかしげて、声の主を見る。
「俺最近釣りにハマってんだけどさー、どっか行かね。明日」
 はち切れんばかりの笑みを向けて、言い切った。そうすることが前から決まってたみたいに、何回もそうしてきた内の一回にしかすぎないみたいな顔で。
 だけど、僕たちはクラスも違うし、出身小学校も違う。こうして呼び出されるまで、一度も顔をあわせたことがなかった。普段生活していても、クラス内の適当な立ち位置で過ごしているし、呼び出された時以外に会話をしたこともないと思う。
「釣具は俺が持ってくから! オッケーオッケー」
 何だかもう完全にやる気の薙。きらきら笑みを浮かべていて、フリスビー投げてもらうの待ってるラブラドールってこういう顔するんじゃないか、て思った。
「……そうだな。穴場なら知ってるぞ」
 最初に答えたのは守井だった。無表情に見えるけど、口元が笑っているのは。案外乗り気に聞こえるその台詞は。思ってもいいのかな。もしかして、もしかして、この二人も同じこと考えてた、とか。思っても、いいのかな。
 何で穴場とか知ってんの? という薙の問いに、「この辺りの魚の生息水域を調べたことがあるからな」なんて淡々と守井は答える。らしいなぁ、と思いつつ僕は口を開く。
「じゃあ、適当につまむものでも持ってく。ヤローの弁当でも食え」
 軽口に聞こえるように言ったら。薙が興奮しきりの顔で「やった! 歌崎の弁当!」とか言うし、守井だって「それは得だな」とか言い切る。そんなこと言われたら全力で頑張っちゃうじゃないか。
 たぶん、二人も思っている。こうやって呼び出されて、しらばっくれもせず素直についてくるのは、逃げると面倒だとかそういうこともあるけど、それだけじゃないんだ。
 こうして出来たつながりが、僕ら結構気に入ってる。クラスの自分も嫌いじゃないけど、ここでこうして二人と一緒にいるのは、悪くなかった。いやむしろ、すごく心地がよかったんだ。それでも、そこからもう一歩踏み出すことをためらっていたのに。
(あっさり踏み出しちゃうんだからなぁ)
 回想を終えた僕は、先を行く自転車を見た。三人分の釣具を持って、暑さもペダルの重さも苦にしないようにスイスイ進む薙の後ろ姿。体中に光と熱を持っているようだ。きっとコイツがいなかったら、僕たち学校の、一部分でしか付き合ってなかったんだろうな。当たり前みたいに誘われて、こうしてくっついてきてしまって。薙の餌に思わず食いついてしまうなんて。ああ何だか、僕らの方が上手く釣り上げられてしまったみたいじゃないか?

 

005:釣りをするひと 文字書きさんに100のお題