Note No.6

小説置場

ニューロン

 さいごのけしきをおぼえている?

 刺し込んだナイフをゆっくりと引き抜いた。丁寧に、きちんと肋骨を傷つけるように注意しながら。すらりと引き抜けば、支えを失った体が道路に転がった。裁貴は注意深く自分の体を点検して、返り血がついていないことを確認する。
 袖口、なし。腕周り、なし。胸元、えり、膝、全身、なし。どこにも痕跡がないことを念押しし、裁貴は路地裏から出た。事前に別の人間が財布類は抜き取っているので、金銭目当ての強盗の類に見えるだろう。
 大通りに出て、雑踏にまぎれた。この辺りでも一番の繁華街は、休日ともなれば人でごったがえしている。そこに紛れてしまえば、裁貴も一般人と何ら代わりがない。斜めにかけた鞄に血まみれのナイフが入っていることも、ついさっき心臓を刺してきたことも、まるでなかったような顔をして歩いている。
 途中まで行った所で、ファーストフード店の看板を見つけた裁貴は中へ入った。標的が中々現れなかったため、昼の時間を過ぎてしまったのだ。これから家に帰るまでの時間を考えると、空腹が持つとは思えなかった。
 昼を過ぎたとはいえ、店内は人が多かった。雑談場所として居座っている人間も多いのだろう。裁貴はセットにサイドメニューをつけて、少し豪華にした昼食を抱えて、一人席を確保する。それから、思い出したようにポケットから携帯電話を取り出してメール画面を呼び出した。
『全部見終わったからこれから帰るねー。今日の夕飯何?』
 絵文字を付け足しつつ、それだけ送った。どうせすぐに返事があるだろう、と思えば、ポテトを放り込んだ所で携帯電話が震えた。画面を開けば、『目的のものは手に入ったかな? 今日はたぶん外食です。何が食べたいか考えておいてね』という文面が目に入る。手早く返事を打つ。
『ばっちり♪ 帰ったら天牙さんにも見せてあげるから、期待しておいてね! 夕食はすっげえ考えとく』
 恐らく今日は父親が帰って来るのだろう、と察しがついた。普段中々家に帰れない人間なので、顔を出せる時はお詫びのように高い店へ連れて行ってくれるのだ。今日の成果はばっちりだし、胸を張ってリクエストが出来るな、と裁貴は内心でうなずく。
 決してプロの手だと思われぬよう、素人の犯行だと思われるよう、今回は細心の注意を払っている。肋骨の間を通して心臓を刺すことなどいとも容易いが、今回はそれをしなかった。刃先を一度骨に当て、少し引っかけてから心臓へ到達する。余計な手間ではあるが、そうでもしないと咄嗟にナイフをふるったようには見えないだろう。さらに、ちゃんと抵抗させて争った痕跡を作り、現場にはボタンも落としてきた。何もかも天牙の言う通りにしてきたのだ。きちんと成果を語って、証拠の品々を見せなければなるまい。
 ブブブ、と携帯電話が震えた。かぶりついていたハンバーガーを片手に持ち、メール画面を開く。案の定天牙からの返信だ。
『それは良かった。気をつけて帰っておいで。僕は特に食べたいものはないから、好きなものを言うといいよ』
 天牙からの返信内容は思った通りで、裁貴はほくそ笑む。これなら、食べたいものが食べられそうだ。この前の鉄板焼きの店か、それとも分厚いステーキか。年頃の男子としては、肉の魅力はかなりのものだ。
 ハンバーガーを食べ終わり、コーラを飲みつつ夕食について思いを馳せていると、携帯電話が震えた。もう用は終わったと思っていたが、一体何の用なのか、と思いつつ画面を開く。送信者の名前を認めた瞬間、裁貴の顔が歪んだ。
『今どこだ』
 それだけしか書かれていないメールは、天牙からのものではない。気分としては無視したかったが、仕事に関係している可能性があるのでそうもいかない。裁貴は渋々と返信を作る。今いるファーストフード店の支店名と、送信者である士訪の居場所、それから用件を問いつつ。すぐに返事が来て、見ればやはり短い文面だった。
バイト中。こっち来い』
『なんで』
 天牙とのメールなら絵文字も多用するが、士訪相手では限りなくシンプルになる。相手のメールがメールなので、絵文字すらも勿体無く感じるのだ。
『この前の試験悲惨だったろ』
 それだけ記されていて、裁貴は思いっきり顔をしかめた。確かに、この前の定期テストの結果は悲惨で担任に半笑いされたけれど、だから何だと言うのか。そんな思いを乗せて、びしばしと返事を作る。
『だから? 士訪が俺の成績どうにかしてくれるわけ』
『そうだ』
 皮肉を込めて送ったにも関わらず、簡潔に肯定された。思わずげんなりとした顔つきになるのは、士訪が理数系にとてつもなく強いことを思い出したからだ。恐らく、徹底的に鍛え直すつもりに違いなかった。
『嫌だっつっても意味ないんでしょ?』
『当然。あと次の打ち合わせもある』
 そういえば、次って士訪と一緒だったっけ。思いつつ、携帯電話を眺めている。何のかんのと言いながらやりやすいのは認めるけど、それにしたってみっちり家庭教師は遠慮したい。
 逃げられないことはわかっていても、思うだけなら自由だろう、と溜め息を漏らす。きっとこの前の試験の復習から始まるけど、一体どんなことをやったんだろう。ほとんど砂になった記憶をどうにかつなぎ合わせて導き出したのは、人体の働きとか何とか。一番詳しいはずなのに、どうしてこんな成績なんだろうねぇ、と天牙が言っていたことを思い出す。
 確かに、と裁貴はうなずいた。記憶の中の天牙に向けて。確かに、天牙さん、どこをどうしたら筋肉が動くかとか、どこを壊したら死に至るかは誰よりも知っているんだけど。どんな風に痛みが伝わるのかとか、どうやって脳みそが働くかなんてことは、欠片も知らないんだよ。
 裁貴はぼんやりと考える。授業でやったはずの、体の仕組みや人体の働き。そういえば、体に受けた刺激は神経細胞によって次々と伝達されていくんだって、言ってたっけ。冴えない理科教師の顔を頭に呼び出しつつ、それだけは覚えていたことを思い出した。
 きっと体中の細胞が、最後の瞬間まで刺激を伝えている。だからそれなら、と思ったのだ。さっき殺した人間も、今まで俺が殺した人間も、きっとみんなその体が、最期の景色を覚えているんだ。

 

015:ニューロン 文字書きさんに100のお題