Note No.6

小説置場

 崩れかけた階段を器用に登り、上層階へ到達する。上手くカモフラージュしている盗聴マイクに向けて、帰ったことと合い言葉を告げる。いくら戦闘大好き人間のセイだとしても、ホームで暴れ回ることは遠慮したかった。せっかく寝る場所も確保出来ているのだし。
 瓦礫をひょいひょい乗り越えて、最奥の部屋まで到達し、壁の前に立つ。一見するとただの行き止まりだが、横にある大きな瓦礫に手をかけると扉の要領で手前に引く。重い音を立てながら瓦礫が動き、セイは中へ身体を滑り込ませた。
「おお、帰ったか、セイ」
 最初に反応したのは、部屋の奥の座布団に座っているアキラだった。小柄な少年だが、呑気にお茶を飲んでいるが偉く板についている。実年齢がそうさせるのかもしれない。続いて、部屋の入り口近くで本を読みつつ、ヘッドフォンを耳に当てていたチヅルが顔をあげる。
「あれ、セイお帰りー。いつの間に帰ってきてたの」
「さっきな。ちゃんと挨拶もしたぞ」
 彼らの本拠地では、定期的に場所の変わる盗聴器に向けて、対応する合い言葉を告げることが義務付けられている。その数はもちろん一つではなく、平均で五つ(時々設置者の気まぐれで増減する)だ。一つでも間違えれば、侵入者と見なされて真剣勝負の殺し合いに発展する。
「僕聞いてないんだけど」
「わしが聞いとったから安心しろ」
「そっか、間違えなかった? セイ」
「正解だったぞ」
「ねえ、お前らなんでそんな残念そうなの?」
 そんなに俺と戦いたいのかキミタチは、と苦笑しつつ尋ねる。チヅルは満面の笑みで、「一回くらい本気で殴ってみたいよねー」と答えているし、アキラは真剣な顔で「ちょっと一回、耐久拷問勝負せんか?」などと言っている。
「嫌だよ。耐久拷問勝負って、それ主に俺が耐久するだけだろ。アキラはやるだけだろ。何を耐久するんだよ」
「こう……さっくり殺したい気持ちなどを」
 真顔だった。余計に質が悪いよな、と思いつつセイは懐に入れていたものを思い出して、チヅルとセイに放り投げる。不意に飛んで来たものではあるが、二人とも難なくキャッチする。
「あ、オレンジジュースじゃん!」
「おお、汁粉か」
 投げられたのはいわゆる缶ジュースの類だった。一体どこから仕入れてきたのか、という思いでセイを見つめると、自分の分らしい緑茶のプルトップを開けて口をつける。
「いやちょっと、西から帰って来る時にさ。外で自販機の車襲った帰りのヤツラに会ったから」
 ぐびぐびと飲みながらの言葉に、二人は大体を理解した。セイのことだ、適当に盗み取ってくるなどということするはずがない。
「全員ボコボコにしてぶん取ってきた」
 にこやかな笑みで言い切る。普通にぶん取ってくるだけに飽き足らず、喧嘩を吹っかけてきっちり全員ノックアウトしてから、品物をせしめてきたのだろう。セイの場合、品物が欲しくて襲ったというより、喧嘩がしたくて探してたらたまたま商品つきだった、という可能性が高い。
「ってわけで、あっちの森の方に隠してきた。物資足りてなかっただろ」
 三人の本拠地は、現在の場所だけではなかった。ゼロ区の中に、小さいものをいくつも持っており、その間を点々としているのだ。もちろん、それぞれの場所ごとに合い言葉は異なる。
「ふむ、そうだな。随分寂しくなっておるし、丁度いいだろう」
「オッケー。じゃあ、しばらくは森の方も注意しとくね」
 嬉々とした表情で、チヅルが目の前の機器をいじりだす。十中八九、仕掛けた盗聴器の感度を操作しているのだろう、と察する。ゼロ区内のいたる所に盗聴器を仕掛けて、常に聞いているという人間なのだ。もしも物資を取り戻そうと動く人間がいれば、すぐにキャッチ出来るに違いない。
 緑茶を飲み干したセイは「頼むな」と言ってチヅルの頭をぐりぐりと撫でた。やめろー、と言いつつも楽しそうなので、気にせず続ける。しかしそこで、チヅルが今まで目を通していた本に気づいて手を伸ばす。
「チヅル、こんなもん読んでるのか」
「え、うん。この前外で拾ってきて」
 てっきり物語か漫画の類だと思っていたセイだが、紛れもなく表紙には『中学校数学』と書かれている。中を見ても、数式やら解説やらが記されており、どうやら教科書のようだった。
「……面白いのか、これ」
「面白いよー。数式解いてると落ち着くし」
 僕、過去に何があったとか作文の書き方とか興味ないし。きっぱり言い切るが、だからといって数学の教科書を好んで読むのも変わっているのでは…という思いで、セイはアキラへ視線を投げる。視線の意味を汲んだアキラは大きくうなずいて、言った。
「まあ、普通ではなかろう」
「だよな。チヅルって結構変だよな」
 当人には聞かれない距離でそんなことを言い合う。おかしくない人間の方が少ない場所だし、害のない変人っぷりではあるが、変だという事実には変わりないのだ。思いつつ、盗聴しながら数学教科書を読むチヅルを眺めていたのだが。
「――そうじゃ、セイ。これを知っているか」
 ふと思い出した顔をして、アキラが懐からダンボールの切れ端を取り出した。要するにゴミだが、それに書きつけられた記号を示しているらしい。
「……何だこれ。見覚えがあるような……気もするけど……」
 ぼんやりとした言葉になってしまうのは、自分の記憶に自身が持てないからに他ならない。はっきりとした記憶が蓄えられているのは、ここ二年分程度なのだから。もっとも、緊急事態になれば体の方が勝手に動くし、記憶がないからといって治療を奨められるような環境でもないので、あまり困りはしない。
「……何だろうな……外国語ではなさそうだし、地図記号でもないだろ……何か、数字っぽい、かな」
 とりあえず思ったことを言ってみる。するとアキラがふむ、と思案顔になってからチヅルを呼んだ。こっちに来い、と言われたチヅルはヘッドフォンを首にかけてやって来る。教科書を持ったまま。
「やはりお主、外の記憶があるようだのう」
 言いながらチヅルの手から教科書を受け取り、ぱらぱらとめくった。どうやら目的のページを見つけたらしく、セイの前に教科書を広げた。
「どうじゃ? その記号はルートと言って、数式を解く際に使われている。わしには何だか見当もつかんがったが、お主は数字との関連性が浮かんだじゃろ。こんなこと、こちらでは習わんぞ」
 ゼロ区内でぎりぎり行われる教育で習うのは、足し算引き算くらいのものである。少し高度になっても、掛け算と割り算までだ。ルートだとか平方根だとか、存在自体を知っている訳がなかった。
「へー、やっぱりセイって外出身なんだ。ねえ、じゃあ平方根の計算ってわかる? 僕まだそこまで行ってないんだよね」
 薄々自分でも思っていたし、チヅルやアキラにも指摘されていたので、外から来た者であることに異論はなかった。だから、またそれが証明されたんだな、と思う程度だったのだけれど。
「悪いな、チヅル。俺は記憶喪失だから無理だ」
 仰々しく言い切ったものの、チヅルは「嘘くさい」と切り捨て、アキラは「わからんなら素直にそう言え」とにやにやしていた。

 

017:√ 文字書きさんに100のお題