Note No.6

小説置場

はさみ

 神様は、どうして僕を殺してくれなかったんだろう。

 頬を撫でた。血の気の失せた顔は真っ白で、作り物のようだった。やわらかくてあたたかだった体は、もうすっかり冷たくなっている。余計に人形のように思えるけど、こんなに美しい人形を僕は知らない。これ以上綺麗なものを、僕は知らない。
「ねえ、千花ちゃん。僕は君の願いを叶えてあげられたかな」
 もちろん返る答えはない。だって二度と千花ちゃんは僕の名前を呼ばないし、起き上がることもなければ、笑いかけることもない。簡単だ。僕が殺したんだから。僕のこの手で、ナイフで心臓を一突きにしたんだから。他の誰でもない、僕自身が。
「すごく綺麗だよ」
 ロビーの椅子に横たえた千花ちゃんに、言葉を投げる。彼女が着ているのは、僕が買ってあげた洋服だ。セーラー服のままで死ぬより、好きな服の方がいいんじゃないかと提案した。そうしたらうなずいたので、一緒に洋服を見に行った。いろいろ迷っていたみたいでどれがいいかって尋ねるから、素直に答えたのだ。長い黒髪の綺麗な子だったし、きっとよく似合うだろうなって洋服があったから。
「本当によく似合ってるね」
 すっきりとしたラインのワンピースは、腰の部分で切り返しになっていて、スカートはチェック柄だ。大人っぽい形のワンピースが、そこだけ何だか可愛らしくて、千花ちゃんにもよく似合っている。女性の美しさと少女の愛らしさを併せ持った千花ちゃんにはぴったりだ。
 普段はこんな格好をしないようで、最初の内はしきりに照れていたのだけれど。思った通りのことを言ったら、控え目に笑っていた。目尻をほんのり赤く染めて、花開くように笑う様子は、とてもうつくしかった。
 もう二度と、そんな風に笑わない。誰にも笑顔を見せることもないし、泣くことだってない。彩り豊かな表情を見ることは、二度と叶わなかった。
「そろそろ、準備をしないといけないんだ」
 離れるのは惜しかったけど、自分を奮い立たせて立ち上がる。やるべきことが残っているから、ずっとここに座り込んでいる訳にはいかない。最後の仕上げをしないと。
 人の気配のないロビーを歩いた。この場所で生きているのは僕だけだ。全員殺したし、生き残りがいないかチェックした。誰も残っているはずがない。だからゆっくりしていてもいいんだけど、まあさすがにそろそろ警察も来るだろう。何かとうるさくなる前に、工作を済ませておかないと。
「ふふ」
 思わず笑みが浮かぶのは、そんなこと考えもしなかったから。適当に押し入って全員を殺した後のことなんて、考えもしなかった。なるようになるだろう、と思っていたから。だけど今は、そんなことを言っている場合じゃない。だって、このままで中へ踏み込まれたら困る。
 警官たちが踏み込んで、現場を調べればすぐに判明するだろう。明らかに、一人だけ違った扱いを受けている千花ちゃんに。
「……それはちょっと、千花ちゃんの名誉のためには、避けたいよね」
 人の口に戸は立てられないから、いずれこの情報は漏れてしまう。すると、根も葉もない噂や心ない中傷が飛び交うに違いない。それはやっぱり嫌だった。
 事務室に入り、紙とペンを拝借する。その場で書こうと思ったら、事務員の死体が邪魔だったから椅子から落として、代わりに座った。
「さてと」
 こんな告白文めいたもの、書くつもりなんてなかった。だって誰かに理解してもらうつもりなんて、微塵もなかったから。理解出来ない大量殺人犯で充分だったし、精神異常者だろうとサイコパスだろうと、周りの人間がどんな判断をくだしたって構わなかった。僕自身でさえ僕のことはわからないんだから、周りに何を言われても別にいいのだ。
 真っ白い紙に向かい、何を書くべきか考える。生い立ちからか、それともなぜこんなことをしたのか――犯行動機でも書いた方がいいのだろうか。そう思ったけど、すぐに却下した。だって僕には、そんなものがないのだ。
 物心ついた時から、僕は僕のままだった。特別劣悪な環境で育ったわけではないし、家族仲は悪くなかった。何もかも順調というわけではなかったけど、温かい家だったと思う。やさしくて大らかな父、しっかり者で明るい母、面倒見がよくて楽しい兄。本当にごく普通の家庭だった。
 それなのに、僕は生まれてしまったのだ。こんな僕は生まれてしまった。壊したいと思う衝動を、命を消してしまいたいと、息をするように願う子どもが。
 人の痛みが理解出来ないわけではなかった。こんなことをされたら痛いだろうな、とか、嫌だろうな、と思う。物語の登場人物に感情移入することも出来た。一緒に泣いて笑っていた。だから、ごく普通の子どもだと思われていただろう。
 本当は、大きな欠陥を抱えていたのに。
 痛みを理解出来た。大事なものを失う悲しみを知っていた。だけど、それだけだった。理解出来たし知っていたけど、それを上回るのは人殺しの衝動。めちゃくちゃにして、この手で命を奪う渇望。身を焼くほどに、いつだって飢えていた。
 どうして、と僕は思う。どうして僕は生まれてしまったんだろう。人を殺すことに抵抗なんてなかった。こんな子どもがどうして生まれてしまうんだろう。僕にだってわからないから、誰かに伝えることなど無意味だろう。
 仕方がないので、ただ事実だけを記すことにした。自分の名前、住所。家族と親戚はいないこと。使った武器と、その入手方法。場所ごとの殺した人数と、殺害方法。最後に残った人間だけ、別の殺し方をする信念について。
 千花ちゃんが一人だけ特別である理由を、これで納得するかはわからない。だけど、少しばかり脚色を加えて、言うことを聞いたら助けてやると脅して従わせたように匂わせておいた。これで、千花ちゃんが哀れな被害者だと思われればいい。最後まで、犯人にいたぶられた、一番哀れな被害者。
 誰も彼もから同情してもらえればいい、と思いながらペンを置く。ここに置いておけば誰かが見つけるだろう。それじゃあもういいかな、と思った所で。事務員の机に置いてあるはさみが目に入った。
「……」
 僕には何かを望む資格がないことなんて、よく知っていた。だけど、これだけ。哀れな被害者と残虐な犯人の関係だけど、僕だけ知っているつながりを一つだけ、もらってもいいだろうか。
 はさみを懐に入れて、来た道を戻る。ロビーに辿り着けば、先ほどと変わらない千花ちゃんが横たわっている。まるで、眠るみたいな。
「千花ちゃん」
 ひざまずき、髪を撫でた。さらさら、気持ちのいい手ざわり。艶やかな黒髪が自慢だと言っていた。とても綺麗な髪の毛だ。千花ちゃんによく似合っている。
「君の髪を、もらってもいいかな」
 誰も知らない、僕だけの証として。ここで過ごした時間が嘘ではないと、僕だけが知るために。
 決して長い時間ではなかった。だけれど、何の偽りもない素顔の僕を丸ごと受け入れてくれた君との時間は、今まで生きてきた時間で一番輝いていた。いつだって思い出す。嘘をつく必要はなかった。笑ってくれた。ありのままの僕を、千花ちゃんは受け入れてくれた。誰よりも大切な、うつくしい時間。
 どうして、と思う。どうしてなんだろう、と思う。
 大切なのだと知っていた。ずっとその笑顔を見ていたかった。一緒にいられることが嬉しかった。嬉しかった。嬉しかった。それなのに。
「千花ちゃん」
 これほどに愛おしい名前を僕は知らない。僕が殺した、大切な人。眠るように死んだ僕の好きな人を見つめながら、僕は思っている。どうして、どうして、どうして。
 どうして神様は、僕を殺してくれなかったんだろう。

(そうしたら君は、死なずに済んだのに)

 

021:はさみ 文字書きさんに100のお題