Note No.6

小説置場

ひかりみちる

 難しいことはよくわからないのだけれど、光を調節する機能がうまく働かなくなっているのだという。ちゃんと調整出来ないから、光を痛いほどに感じてしまうらしい。だけどこれはまだ初期の段階―というより、まだまだ想定内のちょっとした誤作動であると先生は言う。本格的に崩壊が始まってしまえば、視神経から大脳につながる部分のどこが壊れるのかはわからない。だから断定は出来ないのだけれど、少なくとも光でいっぱい、ということにはならないようだ。
「……なんだ。残念だなぁ」
 努めて明るくそう言ったら、先生も軽い声で「何だか勿体無いみたいな声をしているね」と返してくれた。実際問題先生がどんな顔をしているのかはわからないけど、この声のように笑っていてくれたらいい。
「うん、だって、先生。俺が見ているものは、とても綺麗なんですよ」
 光で埋め尽くされる、というのはこういうことを言うのだろう。ほとんど視界はきかないし、最初は痛いくらいだったけれど何だかもう慣れてしまった。俺は昔から単純だったので、嫌なことがあっても朝晴れていたらそれだけで気分がよくなってしまうような人間だった。だから、こんな風に光でいっぱいの光景を見ていたら落ち込んだままでもいられない。
「すごいんですよ。先生にも見せてあげたいくらいだなぁ。すごく強くてきれいな光で、俺は今までこんな光景見たことないです」
 先生が困ったように笑ったのが、空気を通して伝わった。困っているというか呆れているというか―そんな笑い方。今俺は現実に光を「見て」いるかどうかは怪しいから、こんな言い方はおかしかったのかな、と思ったのだけれど。先生はやわらかく言った。
「そうか。俺には見られないけど、湊くんの目にはそんなにきれいな世界が映っているのか」
「……はい」
 先生は、機能を失っていく俺の目を馬鹿にしなかった。もう見えているとは言いがたい俺の目に、世界は映っているのだと言ってくれた。それが少しくすぐたかった。
「湊くんの目は、一足飛びに暗闇になるわけではない、とは言ったのを覚えているかな」
 やさしく言われてうなずいた。失っていく視力の話を聞いた時、段階を踏んで俺の目はものを見なくなるのだという話を聞いた。
「今の君の状態は、確かに始まりの一歩だとは思う。だけれどそれは、本質的なものではないんだよ」
 先生はゆっくりと、噛み砕くように続ける。小児科の先生みたいで、俺のことをいくつだと思ってるんだろうと考えたけど、別に悪い気はしなかった。出会った時からこんな話し方だったし、今では慣れてしまった。
「今の状況は、どちらかというと目そのものの機能に異常を来たしている。だけれど、本来の問題は君の脳の中にある」
 視覚を感じる部分が蝕まれていくのだという話を思い出す。脳へつながる視神経もそのまま壊れてしまうだろうから、視力が戻ることはほぼ絶対にないのだという。
「たぶん、光量の調節がきかないのはどこかで歪みが生まれている所為だろう」
 先生は一度言葉を切った。たっぷり沈黙を流してからでもね、と言った。
「湊くんの目は確かに見えなくなるけれど―俺にだって見たことのないものが見えているんだろう?」
 それなら、と言った先生の声は何だか泣きそうだ。俺には今先生の顔は見えないから本当に泣いていたって、実は舌を出していたってわかりはしないんだけれど。やわらかく清々しい光を浴びている俺の心はとても平穏で澄んでいたから、ゆっくりと言った。
「きれいなんですよ」
 励まそうと思ったのかもしれない。先に続くはずの言葉を俺は知らないけど、先生はためらっているみたいだから、先回りをすることにした。やさしくて、強くて、励ましては罵倒されて、それでも言わずにはいられなくて、でも後で自己嫌悪に陥るという先生に、その言葉を言わせなくて済むように。
「嘘みたいに、きれいなんです。天国って具体的にイメージ出来ないんだけど、もしかしたらこんな風かもしれないなぁって思うんです。上手くいえないけど――」
 今俺の目に映る世界。視力なんてほとんどなくて、光に埋め尽くされている。顔は見えないし、鼻の先に何があるのかすらわからない。だけど。
「周りにある全てが、全部が、何だかとても善いものみたいな、そんな気分になるんですよ」
 降り注ぐ光たち。俺もその一部になったんじゃないかと思うくらい、辺りは光で満ちている。実質的には何も見えてないに等しいし、これからずっとこの状況だというわけでもないらしい。だけど、俺は思うのだ。
「こんなに綺麗なもの、俺は今まで見たことない」
 最初で最後の奇跡だというならば、今の俺は素直に感謝が出来るだろう。だって、心から言える。世界はこんなに美しかったのだと!