Note No.6

小説置場

Cotton candy

 最後の手段というのは、最後まで取っておくからそう言う。しかし、最後まで取っておくというのはつまり、実行するには数多くの障害があったり、心理的に抵抗があったりするためである。万が一すんなりと実行出来るのであれば、最初の手段に持ってくる。
 諸事情あって実行出来ないからこその、最後の手段なのである。
「……」
 それを重々理解している結人は、同じくらいに今現在ののっぴきならない事情、というのを理解していた。
「結人くん、困惑するのもわかるんだがね……」
「……はい」
 汗を拭きつつそう言うのは、丸々と太った中年の男性だ。何度か顔を見たこともあるし、結人のことである。名前と顔はもちろん、経歴から住所、現在の身長体重まで大体わかる。口に出しはしないけれども。
「ただ、これはまあ、一つのチャンスとも言えるのよ」
 男性の隣に座っている女性が、ハキハキとした口調で告げる。結人はこくり、とうなずく。もちろんこの女性についての情報ももちろん網羅しているし、立場というのも理解しているので話の行方はよくわかる。
「大抜擢と言ってもいいわ。ほとんど無名の新人でしかないあなたを直々の指名だもの。これから先、いい経験になることは間違いない」
 かけている眼鏡を押し上げて、女性は続ける。先ほどから口にされるチャンスだというその言葉に、まったくもって嘘はないし、誇張でも何でもないことはわかっている。
「それにね、決して無謀な話でもないのよ」
 ほら、と言って女性は傍らのクリアファイルから大判の写真を数枚取り出す。そこに写っているのは、これまでに結人が演じた役柄の一つ。
「あなた、自分の容姿をそれほど評価していないみたいだけど――そんなことはないのよ。いえむしろ、正直な話、その辺の女優が集まっても太刀打ち出来ないレベルだもの」
「はあ……」
 やや熱っぽくなった口調に、曖昧にうなずき返す。自分の顔が女顔であることは随分前に諦めたので、反論はしない。けれども、絶世の美女と謳われた母親と、この世のものとは思えないやら幻影の住人やら妖精やら奇跡やらと称され続けた父親を持つ身としては、己の顔がそこまでのものだとは思えなかった。
 不幸というか幸いというか、結人の審美眼は最高値がやたら高いのである。
「だからね、私たちとしてはぜひとも、この役を受けてほしいの」
 もちろん決定権はあなたにあるんだけれども――と言いながら、まなざしに力強さが混じる。
「うちの事務所としても、月9に出すなんて久々だもの!」
 そう言うと、事務所社長である女性が晴れがましく笑った。まあそうなんだろうな、と結人は思う。老舗と言われるこの事務所であるが、最近は新しい事務所に押され気味なのである。
「それにね、結人くん」
 中年男性(こちらはモデル部門の部長である)は、気弱そうな顔で先を続ける。
「このドラマに出演が決まったら、いいお金になるよ?」
 ですよね、と結人は内心でうなずいた。
 元々この業界に入ったきっかけは、この事務所主催のオーディションだったのだ。シンデレラ・ボーイを探せ! とか何とか、巻き返しを図った事務所の奇策だったのか、とりあえず見目麗しく聡明で、万人好かれそうな男の子を探す、というオーディションだった。
 優勝賞金100万円を切実に求めていた結人は、結局最後の手段としてオーディションに挑み、幸い両親の遺伝子のおかげで容姿はパスしたし、頭脳の方も問題なかった。おかげで無事優勝賞金をもぎ取り、弟たちの修学旅行代金・給食費・アパートの家賃半年分・光熱費・食費等々にあてがうことに成功したのである。
 その後、モデルとして活動しつつ映画や舞台にも端役ながら出演するうち、演技に本格的にのめりこみだした。弟たちは、日々自分たちのために身を粉にして働いてくれている兄がやりたいことなら、と支援を続けてくれている。……最も、オーディション優勝者なので交通費とか諸々事務所が出してくれるわけなのだが。
 しかし、日々極貧生活に喘ぐ身である。事務所から一応給料は出ているし暇を見つけてはアルバイトに励み、弟たちもそうしてくれているとは言っても。毎日きゅうきゅうの生活をしており、そろそろマズイな、というのっぴきならない事態なのである。
 そんな状況で、お金の入る役を提示されて断るわけがない。むしろ自分から、何かありませんかと尋ねに来ていたのである。迷いはあったが、三秒でもみ消した。そんなこと言っている場合ではないのだ。
「はい。ぜひ、やらせてください」
 答えると、社長と部長がぱああっと顔を輝かせる。確かに、話題性も抜群だし衰えているとはいえ月9だし、事務所的には万歳だろう。
 そう、結人にとっても有難い。知名度の高いドラマに出演出来るなら、給料の方にも反映があるだろうし、その先の展望としても大いに安心だ。きっと今までよりも数多く、役を受けられる。
 そう。たとえそれが、あくまでヒロイン、全編女装で演じるとしても、だ。
 月9に出演ということ自体間違っていないし、話題には事欠かないからマスコミの目も向けられる。注目されるという点では悪い話ではないのだろう。
「大丈夫、結人くんなら絶世の美少女よ!」
 楽しそうにそう言うので、曖昧にお礼を言うしかない。いざとなったらこの顔も使い物になるだろう、と思ってはいたけれど。最後の手段は案外早くやって来たなぁ、とのんびり結人は考える。