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Note No.6

小説置場

My princess name

「紫夜の皇帝」

 新しい役者のマネージャーになるよう、通達があった。
 それは久しぶりにうちの事務所から出るという月9のヒロインだった。無名の新人の大抜擢だというのだから、事務所の力の入れようもかなりのものだ。自分でもいうのもなんだが、老舗と言われる事務所の中でも俺は中々有能な方だと思う。これまで担当した相手は大体、今現在テレビで毎週どこかでお目にかかる。
 現に、今回月9ヒロインのマネージャーになるにあたり別の人間に交替した、元グラビアアイドルもいい例だ。グラビアから出発した彼女は、かわいい顔と計算し尽された言動で、着々と(深夜枠ながら)レギュラーを勝ち取っている。性格は悪いが、頭はいいし努力を怠らないので、彼女とは戦友のようなものである。担当を外れると言ったら、笑顔で「残念」と言われたが、後になって真顔で「有能なマネージャーだったのに」と言っていた。個人的にお付き合いはしたくないが、仕事人としては完璧な彼女だったので、俺も多少は残念だ、という気持ちはないでもなかった。
 とはいっても、所詮事務所所属の会社員である。否という選択肢もないし、大体月9ヒロインのマネージャーの方がよっぽどやりがいがあるというものだ。どんな人物なのか、一切知らされていないが大抜擢されたというのだから何かしら目を引くものがあるのだろう。磨くのは自身と周囲の努力だが、その手助けになれるのなら幸いである。
 そんなことを考えながら、社長の部屋をノックしたのは一年ほど前のことだったろうか。そんなことを思いつつ廊下を歩き、今俺は控え室へと向かっている。早いもので今日がドラマのクランクインなのだ。ヒロインでありながら、一番遅いクランクインになったのは監督とプロデューサーの意向だという。非難反論も多々あったらしいが、それは正しいと思える。焦らして待たせた方が、期待感は嫌が上にも高まる。何より、それに耐えうる所か倍返しで答えられるのだから。そんなことを考えながら、俺は社長室を訪れた時のことを思い出している。
 社長室に入ると、机に座った社長から履歴書を渡された。顔写真のない、簡単な経歴だけが記されたもの。この前のシンデレラ・ボーイのオーディションにおける優勝者ということだが、担当が違うので顔は見ていないな、と思った。そういえばやたら綺麗な子だとは聞いていたが……と思った所で、紙から顔をあげた。
「……聞き違いでしたら申し訳ないのですが、今回の私の担当は月9のヒロインと聞いております」
「そうよ。間違ってない」
 久々の月9よ、気合い入れてね! と言われるのだが、黙り込む。確かに間違いなくヒロインだというのだけれど、目の前の紙では「シンデレラ・ボーイ」の優勝者だ。何より、性別欄の記載はハッキリ「男性」と記されている。もしかして、間違った経歴を見ているんじゃないか、と思ったのだが。
 社長はにやにやと、人を食ったような笑みを浮かべて「その子で間違いないわよ」と言うだけだ。これはもう、俺の反応を見て楽しんでいるとしか思えないので、単刀直入に尋ねた。
「ヒロインを男性が演じる、ということでしょうか」
「そう。これは極秘だから黙っていてね。まあ、あなたの口の堅さは信用してるけど」
 秘密保持は絶対なのでその点は問題ない。問題ないが、一体全体これはどういうことなのか。確かに最近では恋愛ドラマの月9としては低調で、視聴率もふるわない。だからこその奇策なのだろうが、それにしたってヒロインを男性に演じさせるとは、愚行もいい所なのではないだろうか。そんなもの、恋愛ドラマというより性質の悪いコメディだ。
 そんなことを思っているのが、顔に出ていたらしい。社長は楽しげな顔で、「そうそう。これ、あなたが担当する子の写真。以前映画に出たものよ」と言って、クリアファイルから大判の写真を渡したのだ。
 昔のことをつらつらと考えていたら、長い廊下は終わっていた。突き当たりにあるのが、今回の控え室だ。ロケとして使われている洋館風の豪奢なホテルの、別館の一室。他のキャストともかぶらないよう、少数精鋭のメイク・衣装担当者だけが来て今回のヒロインを作り上げている。それは、初日において全ての不安を払拭させるための策に他ならない。
 今回、男性がヒロインを演じるということが発表されてから、一切表に顔出しはしていない。スタッフやキャストにすら、必要最低限にしか顔は見せていないので、ヒロインの顔を知っている人間がほとんどいない、という異例の事態となっている。そのため、男性がヒロインという奇抜さも相まって事前の評判は上々なのだけれど、風呂敷を大きくしすぎて引っ込みがつかなくなっているだけではないのか、と揶揄する声が大きいのも事実だ。
 それはスタッフやキャスト間にもあるもので、本当に大丈夫なのかヒロインはどうなっているのか、という不安が薄らと漂っている。それを打破するために、誰からも文句を言われないほど完璧な、神秘的なヒロインを作り上げるべくこうして全精力を注いでいる。
 重厚な扉をノックすると、中から声がする。涼やかで耳に心地いい、楽器のような声音。「どなたでしょうか」と問われるので「三隅です」とだけ答えると、鍵の開く音がした。
 注意深く中へ入ると、衣装担当の女性が困惑した顔で扉の傍に立っている。
「……何か問題でもありましたか」
「あ、いえ、そうじゃなくって」
 彼女はやや言いよどんだが、ぼうっとした顔で続ける。部屋の奥で背筋を伸ばして、椅子に座っている背中を見つめながら。
「なんていうか、すごく、圧倒されちゃって……」
 魅入られたような台詞に、思わず笑みが浮かぶ。髪の毛をいじっている女性やメイクの箱を抱えた女性の表情もどこか酔ったようで、心の奥がふわふわと浮き立っているのが自分でもわかった。
「……結人くん、準備は出来ましたか?」
「はい」
 一言答えると、椅子から立ち上がって振り向いた。
 真っ直ぐこちらを見ている瞳は濡れたように瑞々しく輝いている。やや青みがかかった色彩は、清廉な湖をそのまま掬い取ってきたようだった。さらに、瞳を縁取る長い睫毛はふっさりとしていて、やさしさと豊かさを添えている。白い肌は誰にも蹂躙されたことのない新雪を思わせる。それでいて、決して病的な所がない。血の通った健康的な、しなやかな生命を体現している。青い目と白い肌の中に、ただ一つくっきりと色を落とすのはその唇だった。朝露に濡れる真紅のバラで染め出したようなその唇は、毒々しさもない。薔薇色の頬とともに見事な調和を生み出して、一つのアクセントになっていた。
 さらに、普段は直毛の髪が今は緩やかにパーマがかかっていた。元々明るめの栗色をしていたその髪が、白い肌によく合っていてやわらかな雰囲気を演出している。今回着ているのは襟付きの七分袖のシャツ、濃い茶色のストライプの入ったベストに、生成り風のスカートだ。かっちりとした服装だが、やわらかなスカートと胸元のリボンが可愛らしい。全体的にレトロな格好ではあったが、身を包んでいる人間が人間だけに、そのレトロさも却って良い味になっているのだろう。
「……変じゃないですよね。皆さん最高の仕事をしてくれたんですから」
 変であるはずがない、と困ったように笑うと八重歯がちらりとこぼれた。周りの空気が一気に華やぎ、光の量が増えたような錯覚。俺は二、三度目をしばたたかせてから、心から言った。
「とても綺麗です」
「……ありがとうございます」
 ふわり、と笑う。それだけで部屋中にいた女性が何か神々しいものを見つめるような顔をしていることに、さて目の前の彼は気づいているのか。
 社長室でヒロインが男性だと聞いた時は正気の沙汰ではないと思った。だけれど、社長に渡された写真を見てその考えは一掃されることになる。以前出演した映画とは、大正時代に活躍した幻想画家の一代記だ。その中で、何度も彼の夢に現れた神秘的で、美の化身であり、彼にとっての理想の美しさ、楽園の住人でありえもいわれぬほどの美しさを湛えた少女がいた。画家は彼女を"月江"と呼び、彼女を絵筆で再現しようとその生涯を費やしたのだ。その"月江"役は長らく不明とされてきたが、写真に写っていたのはその少女だったのだからどうしようもない。
 その映画は俺も見ていて、脚本や映像もさることながらこんな人間をどこから見つけてきたのか、とそこに舌を巻いた。そこにいたのは、「美少女」や「美しい女性」ではない。言うなれば"美しさ"そのものだったのだから。
「さあ、行きましょう。みなさんお待ちです」
 促せば、件の人物――最神結人――はゆっくりと歩き出す。マナー講習のおかげか、元からの性質か(講師によると元かららしい)ぴんと背筋を張って歩く姿は、それだけで清廉さを感じさせる。歩いた後には光の粉でも落ちているのでは、とさえ思うくらいだ。
 彼が現れれば、現場の不安は一掃されるだろう。むしろこれまで以上に気合いが入るに違いない。今まで散々情報を隠されて、期待値だけが大きくなっている。その全てを一身に受けても有り余るだろうと簡単に予測できる。きっと、スタッフもキャストも、この姫君を前にしたら傅くしか出来ないのだから。