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Note No.6

小説置場

第二章 02

「……あのー……トイレ行ってもいい?」
「我慢しろ」
 真っ先に仁羽に却下された。ものすごい即答の上冷たかった。仁羽は行きたくないのか、と聞いても「……別に」と不機嫌そうに答えられるだけだった。生理現象なんだから仕方ないし我慢はよくない。そうだ、その点を力説しよう、と思ったら右隣で声があがった。
「僕も行くー」
 懐中電灯を振りながら挙手するので、光が揺れる。すると、もう一つの光も揺れて天井を照らした。見ると遠山が俺も……と言って小さく手を挙げている。こうなれば三対一だ。男同士で連れションもないとは思うけど、今は目をつむることにする。
「じゃあ、仁羽は外で待ってて。行かないんだよね?」
 成島が無邪気に問いかけて、仁羽はそうする、と答えた。数秒の後、うっすらとした光の中に浮かんだ笑顔は、ぎこちなかった。
 扉を開けると、トイレ特有のつんとしたにおいが鼻にまとわりつく。大きな窓と近くにある外灯のおかげで充分な光が入ってくる。ただ、さっきまで暗い所にいた所為か少しまぶしかった。三人並んで便器の前に立つ。そこで、成島も遠山も懐中電灯を持っていることに気づいた。
「……」
 ということは、仁羽は暗闇に一人らしい。トイレからかろうじて光は漏れているけど、差し込んでいるわけじゃない。そりゃあないよりマシかもしれないけど、心強くはないだろう。大丈夫かと思って小窓を見るけど、曇りガラスで外は見えなかった。生きてるかあいつ。
 さっさと用を足して手を洗い、早く行くかと思ったけどその必要はなかった。荒々しく扉が開いて、騒音と共に仁羽が入ってくる。扉の方に全然意識を向けていなかったらしい成島と遠山は面食らったような顔をしている。力任せに開けられた扉がきしんだ音を立てている。
「……仁羽も、トイレ……?」
 問いかけに対して、無言でうなずく仁羽の眉間には深くしわが刻み込まれている。唇を結んで、人一人くらい殺せそうに鋭い目つきをしているみたいに見える。
「……じゃあ、僕たちは終わったから、外出てるね」
 去っていこうとする遠山と成島、棒立ちの仁羽、三人を見つめて立ち尽くしている俺。仁羽は変わらず険しい顔で突っ立っていて、二人はそんな仁羽の横を通り過ぎようとした。だけど、それは出来なかった。すれ違いざま、仁羽に制服のすそをつかまれたから。
 後ろから力をかけられて倒れそうになりつつ、二人は振り返った。何が起こったのかは理解してるけど、行動の意味は理解してない顔だ。
「……仁羽、どうしたの?」
 成島が何となく戸惑った調子で尋ねる。仁羽はいいから、と答えるだけだった。すそを離して、別に外に行かなくていいから、ここにいればいいから、と。
「……」
 その言葉に、トイレの中にはしばらくの間複雑な沈黙が流れる。言葉の意味を理解し、念のためもう一回分析し直し、それでも結果が変わらないことを悟り、真っ先に声をあげたのは成島だ。
「……ええ? 仁羽、ちょっともしかして……ええ!?」
 遠山は声こそ出さなかったものの、いつもの眠りかけた顔は消えていた。目を見開いて仁羽を見る。そして仁羽はといえば垂直に下を向いていた。つむじが見える。耳が赤い。俺はそういうものを眺めながら、一応こらえてはいたつもりだったんだけど。
「……ぶふーっ!」
 思いっきり吹いた。盛大に、聞き間違いでないことが確かだとわかるくらい、勢いよく吹き出した。そうなってしまえばもう止まらなくて、結果、きりなく笑いがこみ上げてくる。後から後から押し寄せて、トイレの中で、俺は一人で腹を抱えていた。
 そして笑いすぎて酸欠状態になった頃、ようやく他の三人の様子が目に入った。遠山と成島は、呆れているのか困っているのか立ち尽くして俺を見ていた。仁羽はというと、真っ赤な顔でにらんでいた。まあそれはそうだ。そして、目が合うと低い声で聞いてくる。
「お前……、俺を笑ってそんなに楽しいかよ」
「いや仁羽を笑ってるんじゃないよ。単に、怖いのを隠してるのが面白かっただけ……」
 言いながら思い出して笑いがこみ上げてくる。察知した仁羽にすねを蹴られた。
「痛っ。……いや、でも仁羽ってば口数は減るし、呼んだら声は上ずってるし、顔面白いことになってるしさー。それなのにトイレの時一人で待つとか……。発狂してんじゃないかと思ったよ」
 俺の台詞に、仁羽は顔をしかめた。ものすごく苦々しげな顔だった。吐き捨てるように、忌々しいものを見る顔でつぶやく。
「園田……気づいてたのか」
「ん、途中からだけど」
 言うと舌打ちされた。今すぐ俺の記憶を消去したい、という顔をしている。そんなに知られたくなかったのか。
「最初は眉間にしわ寄せまくってて超不機嫌なのかと思ったけど、トイレ入ってきた時なんて、むしろ泣くの我慢してるみたいだったし」
 軽く笑うと、今度は正真正銘不機嫌になり、呪い殺しそうな感じでこっちを見ている。……調子乗りすぎたかもしれない……。俺は両手をあげて、降参のポーズを取りながら言った。
「いや……あの、仁羽。俺は単に、仁羽にも怖いものがあるんだなーって思っただけだから。ちゃんと、怖いものあるんだなーって、安心しただけだから」
 俺の記憶にある限り、仁羽はいつも理路整然としていて、圧倒的に偉そうだった。怖いものって何ですか? そもそも恐怖って何? みたいな存在だったから。あ、何だ仁羽にも怖いものあるのか、と思うのは新たな発見だった。
 だから、仁羽が恐がってるのを馬鹿にして笑ってるわけじゃないんだ、と言うと、仁羽が口を開くよりも早く成島が口を開く。
「なるほど、それは僕も同感かもー。仁羽って人間味薄いもんねぇ」
 軽やかに言い、さわやかに笑った。清々しいけど言っていることはひどい。しかもその言葉に遠山がうなずいている。
「それくらいないと、仁羽って冷血動物っていうか……サイボーグみたいだもんね!」
 まぶしい笑顔で人間扱いさえしていない。遠山はいつの間にか眠そうな顔に戻っていて、ぼんやり「怖がりくらい、あった方が丁度いいんじゃない……」とつぶやいた。むしろ、それだけじゃ足りないくらいだよね……とも言う。
「……でも、そうすると夜の学校なんてすごく嫌だよねぇ。電気もつかないし……」
 そこまで成島が言った所で、俺たち三人は気づく。図書室で仁羽が、電気が点かなくなることを知らされていなくてあれだけ怒っていた理由に。そりゃあ、電気の点かない夜の学校なんてとんでもないだろう。怖がりの人間には特に。
「……じゃあ、仁羽は大変だったんだねぇ」
心理的にも苦痛はかなりのものだっただろうね……」
 口調は同情的だが、まったく労わる気持ちがないことは見て取れる。成島ははきはきと言い切り、遠山は無表情だ。二人は続ける。
「仁羽の気持ちには全然気づかなかったなぁ。ごめんねぇ」
 満面の笑みを浮かべる成島。明らかに謝る顔じゃない。
「うん……わかってあげられなかったよ……」
 死んだような目で言われても、真実味が欠けまくっている。そんな言葉を聞いている内に、俺は自然と笑顔になっていた。
 笑ってしまうのは、楽しくなっているから。だって、怖いものなんて何もない、みたいな仁羽なのだ。世の中みんな自分の思い通りに出来そうで、怯んだり怯えたりすることなんてどこにも存在しないような仁羽だって、怖いものがあるっていうなら。
「まあ、仁羽もかわいい所あるんだなーっていうね」
「かわいい……?」
 何を言うか、とものすごい目でにらみつけられたけど、強がりの一種なんだと思えば、前より怖くない気がする。怖いものを必死で隠そうとしているなんて、普段の大人びた仁羽からは全然想像出来ない。同じ年って感じだし、むしろガキっぽくて何だか親近感。成島も「わかるー」とうなずいているし、遠山は「かわいくはないけど……面白いよね……」とは言っている。
「いーじゃん、別に。怖がりくらい。まあ、隠そうとしてるのは面白かったけど」
 俺にだって怖いものはあるし、そんなの当たり前だろう。恥ずかしがることじゃない。
 遠山と成島は心底残念そうに、怖がっている仁羽なんてそう見られるもんじゃなかったのに、気づかなかったのは残念だ、と言い合う。仁羽は呪い殺しそうな顔をしてたけど、二人の台詞を一通り聞いた後、長く息を吐いた。ため息なのか、何かを諦めたのか、覚悟でもしたのか。わからないけど、息を吐くと顔をあげて言った。
「……そうだ。俺はここにいるのが怖いんだよ。だから、こんな絶好の心霊スポットさっさと出るぞ」
 どうやら開き直ることにしたらしい。偉そうな所は全然変わっていなかったけど、完全無欠じゃない仁羽なら随分身近に思える。それにあの必死っぷりとか、結構面白いヤツなのかも。今度は殴られないようにこっそりと、だけど確かに、俺の唇は笑みの形をしていた。
 それから俺たちは仁羽がトイレを済ませるのを待って、階段を下りた。先頭を歩く成島の足取りは軽くて、二段飛ばしくらいで階段を下りて行く。最後尾の遠山はてろてろ歩いていて、仁羽と並んで歩く俺との間に、少し距離が出来ている。三階に用はないからそのまま二階へ行こうとしたら、踊り場を通り越した辺りで成島が立ち止まり、声をかける。
「ねえ、ちょっといい?」
 振り返って俺たちを見る成島は、いつの間にか取り出したメノウ様を持っている。そのまま笑いかけてくる姿には妙な威圧感がある。足を止めて成島を見ると、遠山が追いついたのを確認してから、ぽつりと言った。
「ちょっとね、美術室まで行きたいんだ」
 メノウ様を胸元で握りしめて、首をかしげる。いくら小柄でも、ちょっと下にいるからいっそう小さくても、中二男子が首をかしげても不気味なだけだと思う。
「……なんで美術室なんだ?」
 一応仁羽が聞くと忘れ物したから、と答えるけど仁羽の疑問は解決されなかった。今の美術は教室だから、美術室は使わないのになんでだよ、と重ねて尋ねると、あっさり成島は答えた。
「え。だって僕美術部だもん」
 あ、そういえばそうだったっけ、と思ったのは俺だけだった。他二名は、目を丸くして成島に問いかける。
「成島……お前、部活なんてやってたのか?」
「幽霊部員……?」
 仁羽と遠山の反応に、成島は失礼だなぁ、とむくれた。ちゃんと活動してるよー、と言うけど、まあ確かに。成島が部活やってる姿なんてまっったく想像出来ない。
「あれー。三人とも入ってないの?」
 問いかけられ、うなずく。自分から進んで新しい人間関係を作るほど、俺はバイタリティーに溢れてない。力関係をはかるのもけっこう疲れるし。他の二人も入っていないのは予想通りというか納得出来るというか。
「……何忘れたんだよ」
 仁羽が低い声で尋ねる。トイレの件(出て行くな、というお願い)がある所為なのか、一応聞くだけ聞くつもりらしく、一刀両断にはしない。しかし。
「え。戸川美保の写真集」
 華やかな笑顔で言うと、仁羽がキレた。瞬時に間合いを詰め、成島の胸倉をつかむ。そして、地獄の底からわきあがるような声で言った。
「お、ま、え、は……っ! 何だ、戸川美保に何の義理があるんだ? こんな状況で写真集取りに行くくらいだからな、借りでもあるのか? 金でも借りてんのか?」
 ふ、ふ、と笑みらしきものが聞こえ始め、殴りかからんばかりだったので、仁羽を後ろから捕獲した。成島は特に気にすることもなく、明るく言った。
「借りなんてあるわけないでしょ。面識だってないしー」
 そりゃあ、仁羽だって本気で知り合いだと思って言ったわけではないだろう。仁羽が殴らせろ、と言う。羽交い絞めにしつつ別の方向に気を向かせよう、と早口でまくし立てた。
「えーと、なんでまたそんな大事なものを学校に持ってきてその上忘れたんだよ?」
「今年はデッサン強化するっていうから、デッサン用に持ってきてるんだよ。二学期も使うから置いていってもいいんだけど」
 仁羽が拳を振り上げた。なら取りに行くとか言うんじゃねえ、と言いたいんだろう。
「だけど、何か見たくなっちゃって」