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Note No.6

小説置場

第二章 03

 えへ、と成島が笑った。だってずっと聞こえてるから、と続けて言って、まっすぐ前を指した。指の先を追って、俺と仁羽は(仁羽は拳をおろして)振り向く。遠山はぼんやりしているみたいだけど、視線は動いている。成島が指しているのは、階段の踊り場にある、大きな窓だった。ぼうっとした月明かりに四角く切り取られた窓。その向こう、外側から聞こえる音。
「ずっとお囃子聞こえてるでしょ。だからまだ、お祭りは続いてるってわかるんだけど……いつ帰って来るか、わからないじゃない」
 帰って来る、というのは神輿のことだ。勇壮に階段を下りていった神輿が、再び神社に戻ってくれば、祭りは終わる。神輿の帰還を知らせる号砲が鳴り響けば、それは祭り終了の合図だ。せめて、せめてそれまでは帰りたいんだけど……門限的にも祭り的にも、と切実に思う。
 成島はだからね、と言った。遠い目で窓の外を見つめていて、微笑むような顔だった。
「……お囃子が聞こえてる内に、今日の内に、見たくなっちゃったんだよ」
 何が? という顔で成島を見た。本気で照れてるみたいな顔をして、簡潔に答える。
「浴衣姿」
 瞬間、仁羽が成島の脳天を殴った。ただでさえ背が低い上に、二段ほど下にいる成島は防ぐ術がない。いったー! と叫んでしゃがみこんだ。羽交い絞めをゆるめていたことを俺は後悔しない。遠山はしゃがみこんだ成島も見ないで大あくびしていた。
「何すんの仁羽!」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎。なんでお前の趣味のためだけにつき合わされなくちゃなんねぇんだ」
「えーでも浴衣姿よくない?」
「そういう問題じゃねえ」
「でもいいよね、浴衣」
 ね、の所で俺を見たから素直にうん、と答えた。しゃがんでいた成島がにっこり笑った。でしょー、とか言っている。立ち上がると、にっこにっこと本当に満面の笑みでまくしたてた。
「浴衣すっごくかわいいんだよー。だけど、写真集で浴衣着てるのって、今学校に持ってきてる二番目のしかないんだよ。しかも、浴衣は花火大会とかじゃなくて、夏祭りバージョンなんだよね。縁日歩いてるの。だから今日見たいんだ。藍色の地だからあんまり派手じゃなくて、どっちかっていうと落ち着いてる感じも珍しいし、髪下ろしてることが多いけど浴衣だからあげてるし!」
 だから絶対見る価値あるよ、と輝きを撒き散らしながら言われた。言われたけど、反応のしようがなくて曖昧に笑っておくしかない。成島はよりいっそう生き生きし始める。
「メノウ様もすごくかわいいって言ってるんだからお墨付きだよ。それに二番目は今までと違ってけっこう色んなことが違うからね。ストーリー性を重視してるし、見たら気に入るよ。絶対好きになるよ」
 目の中に星でもあるんじゃないか、というくらいきらきらしている。放っておくと暗示でもかけられそうだった。本気で好きらしい。すごい美人っていうより素朴な感じのかわいいタイプの戸川美保は、俺だって嫌いじゃないしどっちかっていったら好きだけどここまでじゃない。というか、戸川美保の一体何が成島をこうまでさせるんだ……。顔?
「……戸川美保も、お前のこと知ってたらさぞかし喜ぶだろうよ……」
 うんざりとした顔で仁羽が言ったら、そうかな! と弾んだ声で成島が言った。そりゃあここまで好かれて嫌にはならないだろう。
「いつか会いに来てくれるんじゃねぇの」
 鼻で笑った。それだけ言ってりゃいつか通じるだろ、と皮肉交じりの言葉だった。だけど、成島はそうだったらいいな、と笑った。晴れやかに、澄み切った笑顔で。ファン特有の熱っぽい声じゃなくて、静かにゆっくりと、落ち着いた声で言った。
「……そうだったら、いいな」
 ね、メノウ様、と手の中のうさぎに問いかけた。うさぎがこくこくうなずく。
「それだったら僕、どれだけ嬉しいかわかんないよ」
 言って、成島は笑ったはずだった。目じりをさげて、唇がやわらかに引き上げられている。それなのに、その顔が笑顔に見えない。月の光に照らされていた、横顔みたいだった。胸元であみぐるみを握りしめている様子が祈るみたいだ。まるで何かに、すがるみたいだ。
「……成島」
 ゆっくりとした沈黙が流れてから、仁羽がつぶやいた。落ち着いた声だ。威圧的でも偉そうでも、なかった。
「成島にとって戸川美保って何なんだ?」
 単純な質問の形。刺々しさもなかったし、答えを強要している響きもない。仁羽が発した質問であることが意外に思えるくらい、純粋な、単なる質問。成島は、廊下でお姉さんのことを言われた時みたいに一瞬無表情になる。だけどすぐに笑顔を広げて答えた。
「戸川美保は、グラビアアイドルだよ」
 有無を言わさない強い調子。成島は笑顔を崩さない。首をわずかに傾けて、聞こえるね、とつぶやいた。それから、つぶやきの延長みたいに言葉を吐き出す。
「……それで、似てるんだ」
 祈るようにメノウ様をかかげたまま、次の言葉ははっきりと口にした。
「お姉ちゃんに」
 爽やかにほほえむ成島。あれ、成島の姉ちゃんってそんなだったけ、と記憶をあさってみる。うーん、あんまり顔覚えてないんだけど……成島とは似てたような気がする。そうなると成島は戸川美保と似てるってことになるんだけど……似てないよな。すると、成島は俺の頭の中を読んだようなことを言った。
「あ、お弁当届けに来たお姉ちゃんとは違うからね」
「え、そうなの?」
 思わず返しつつ、それじゃあ一体何人姉ちゃんいるんだ、と思った。成島はゆるやかに答える。
「うん。真ん中にね、もう一人いるんだ」
 成島の発言に、仁羽がぴくりと動いたのがわかった。遠山は動じない……というか寝てるんじゃないかこいつ。
「離婚した時、お父さんと行っちゃったから全然会ってないけど」
 え、と声を発しかけて固まる。初めて聞いたぞ。離婚云々なんて絶対話題に上るのに。……大体、成島は父親いるはずだ。父親参観で見たぞ、と思ったけどすぐに理解する。
「幼稚園の頃、こっちに越してきた時には再婚してたから、ほとんどの人知らないでしょ」
 誇らしげに笑われて困る。それは一緒に笑ってもいいものかどうか、と思っていたら気づいた。廊下で月の光問答をしている時の、「生き別れの姉」の話。あれはたぶん、このことだった。嘘じゃなくて、きっと本当だったんだ。
「お姉ちゃんもきっと、こんな風に浴衣着てお祭り行ってるだろうなって。写真集見てると、思うんだ」
 口元に笑みを浮かべて、遠いまなざしを浮かべる。思い出しているのは、写真の中の戸川美保か、それとも――重ね合わせている、誰かなのか。
「あとね、写真集だとうちわ持ってるんだけど! そのうちわにうさぎが描いてあるんだよ!」
 一気に明かりが灯るような笑みを乗せて、そう言った。成島にとってはかなり重要な事実らしい。
「お姉ちゃんもうさぎ好きだったもん。だから、メノウ様はうさぎなんだもんね」
 手の中のうさぎに語りかけると、こくん、とうなずいたようだ。仁羽は「うさぎ好きの女なんて腐るほどいるだろ」とか言ってるけど、成島はそんなこと気にしない。
 瞳に光をいっぱいに溜めて、成島はつぶやく。年よりもっと幼く見える顔立ちだけれど、今ここにあるのは、とても大人びた顔だと思った。遠くにある思い出を、抱き寄せて撫でているみたいな。振り返ることに慣れきった顔。
「……お姉ちゃんが、最後に僕にくれたんだもの」
 いつも持っていたそのぴんくのあみぐるみを、もらったんだと成島は言う。うさぎが好きな、成島のお姉さん。月のうさぎの話をしてくれたし、うさぎのアップリケを縫ってくれたと言う。その人がいつも持っていたうさぎのあみぐるみを、別れる時にくれたのだと言う。弾んだ声だ。嬉しそうに顔を綻ばせている。だけど、同じくらい失ってしまったものを悼むような顔だった。
「だからメノウ様は、うさぎなんだよね」
 首を傾げるようにして、成島は笑った。手のひらに視線を注いで、握りしめていたあみぐるみを、そっと包み込む。失くしてしまった面影を、風化していってしまう姿を取りこぼさないように、包み込む。
「戸川美保は生年月日が同じでね、雰囲気が似てるんだ」
 振り払うように顔を上げると、成島は明るく言った。「家に写真ほとんどないからわからないんだけど、本人じゃないと思うよ」という言葉は、世間話の続きみたいだったから、調子を合わせる。
「……なんでわかんの?」
 本人かもしれないじゃん、と言いかけた言葉にかぶるように、成島はあっさりと、メノウ様が違うって言ったから、と答えを教えてくれた。メノウ様の言うことは絶対、らしい。ねー、と胸元のあみぐるみに笑いかけると、成島の手の中でうさぎがうなずいた。
 何て言えばいいんだろう。成島にとっての戸川美保。成島にとってのメノウ様。生き別れのお姉さんに似ているなんて話を聞いちゃったら、あっさり引き返すなんて出来ないだろ、と思った。
 そしたら突然仁羽が動いて、階段をさっさと下りていく。成島を追い越すと、闇のたたずむ廊下へ足を踏み出す。呆気に取られてその動きを見ている。
「……行くんだろ、美術室」
 こちらを見もしないで言い放った。廊下に仁王立ちをして、美術室の方をにらみつけている。一瞬何が何だかわからなかったけど、まるで今から戦いに行くみたいな横顔に理解する。成島はすぐさま反応して行く行く! と言って階段を駆け下りていった。仁羽は「さっさと行って、さっさと帰るからな!」と吠えている。ちらり、と時間が気になったけどまあいいか、と思った。先に行く二人を眺めてから後に続こうと階段を下りるけど、遠山が動かないことに気がついて、軽くこづいた。
「起きてる?」
「……今は……」
 もぐもぐとした返答に、ということはさっきまで寝てたのか、と思って苦笑するしかない。階段を下りながら行こう、と言ったら遠山がつぶやいたので振り返る。眠そうな顔をしているかと思ったのに、そこあったのは真剣な顔だった。にらむ強さで、前を行く成島へ視線を向けて、言葉を落とす。
「……仲がいいんだね……」
「へ?」
 何を指しての言葉かわからず聞き返したら、成島とお姉さんのことだった。寝てると思ったのに、話はちゃんと聞いていたらしい。そうみたいだなー、と返答する。
「遠山は……えーと、何だっけ。弟か妹いるんだよな」
 記憶を手探りしつつ一応聞いてみたら、数秒してから一言、「妹」という返事があった。それだけで終わるのも何なので、世間話的に聞いてみる。あくまで家族関係のことなのでやんわり。
「仲良いの?」
「全然」
 そしたらきっぱりとした即答が帰って来る。眠さの欠片もないほどはっきりとした言葉だった。何かを言おうと思ったけど、仁羽の早くしろ! というイラついた声に遮られる。もう一度遠山を見直すと、眠そうな顔に戻っていて今の会話はなかったことにするつもりらしい。仕方ないので、「今行くよ」と返事をしてから階段を下りた。
 踊り場に差し込む月の光は廊下にまでは届かないから、光は遠くなる。むしろ、光がある分廊下がよけいに暗く見える。イライラした様子の仁羽はきっと早く帰りたいんだろう。出来ることなら美術室にだって寄りたくないに違いない。俺だってそれには全力で同意するけど――成島があんなに嬉しそうに笑っている。
 しびれをきらしたのか、仁羽が歩き出す。その横に、遅れないようにと成島が並んだ。二人の背中を見ながら後ろに続けば、遠山が俺の横に並んだ。横目で見ると眠そうな顔で、無表情みたいに見えたけど。
「……素直じゃないよね」
 仁羽だってきっと気づいているんだ。生き別れの姉の話が本当だったって。それなのに、思いっきり嘘呼ばわりしちゃったから、美術室へ行くなんて言い出した。絶対認めないだろうけど、そうじゃなきゃ暗闇に突っ込んで行くわけないだろうし。だからこっそりと問いかけてみたら、笑いを含んだ視線で遠山はうなずいた。