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Note No.6

小説置場

第四章 03

「まつりばやしがきこえる」

「……な? 俺ちゃんと知ってるだろ」
 胸を張って笑った。俺には当たり前のことだけど、当たり前のことをちゃんと出来た。誰かに自慢したい気分だった。ちゃんと名前を呼べた。いろんな人の名前を、いつだって呼んでいるけど、今はきちんと声になった。
「三人とも知ってるよ」
 大手を振って歩きたい気分で、一歩二歩と踏み出す。知っていることが意外そうな三人だけど、名前くらいちゃんと知っている。だっていつだって呼べるように、呼ばれてもいいように、準備だけはしとかないと。
 数歩進んだけど、三人が動かないので「戻んないの?」と振り返る。すると、眉間にしわを刻んだ仁羽が地を這うような声でつぶやいた。
「……お前……暇だろ」
「……えーと、どういう意味?」
 イマイチ話の方向性がわからなくて聞き返すと、仁羽がしかめっ面のままで「なんで知ってんだよ」と言う。
「全員の名前言えるってだけでも暇だろ。それに、お前俺がボーイスカウトやってたことまで知ってる始末だ。しかも、当たり前みてぇな顔してやがるし」
 ぶつくさと、遠山が露払いやってたこととか成島の絵が金賞取っただとか、なんで知ってんだよ、とこぼす。絶対お前暇だろ、とか言われるので「まあ……」とうなずきかける。仁羽からしたら暇人なのだろう。いらいらした様子で、仁羽は言葉をつなぐ。
「……何の得にもなんねえっつーのに、何でもかんでも知ってるのかよ」
 損とか得とかそういう問題でもないんだけど。もしかして仁羽は、自分のことを知られるのが嫌なんだろうか。そういう人もいるから小出しにしてたのに。
「……ごめん?」
「謝んな」
 思いっきり足を蹴られた。あれ、これ余計なことまでなんで知ってたんだよって怒ってるんじゃないのか。軽く困惑してたら、成島が笑顔を浮かべて「ねえ」と声をかけてくる。
「あのね、怒ってるんじゃなくってね。ちょっとびっくりしちゃったんだよ」
 にこにこ、と光を溜め込んだみたいな顔で続ける。いつの間にか両手にはメノウ様を握りしめていて、「だって誰も知らないと思ってたんだもん」と言った。
「僕とか……仁羽とか遠山のことなんて、誰も気にしてないでしょ? だから名前とか、他のこともきちんと知っててびっくりしたんだよ」
 別にいいんだけどねー、それが普通だったからびっくりしたんだよねー、とメノウ様に同意を求めている。そういう自覚はちゃんとあるんだな、と思いつつ慎重に答えを探す。
「そんな……何でもかんでも知ってるわけじゃないよ? 家族関係とかはあんまり知らないし、学校関係くらいのもんだよ」
 踏み込んじゃいけない所と関わってもいい部分を探るのはしんどい。だけど、それくらい気を配らないと迷惑になっちゃうし。成島はきゅっとメノウ様を握りしめた。
「だから、僕が金賞取ったこともちゃんと知ってて、覚えてくれたんだね」
「まーそりゃ、去年のことだし?」
 さすがに忘れないでしょ、と返せば成島がいっそう深く笑った。続けて遠山まで、確かに……園田……よく覚えてるよね……とつぶやいた。
 俺が露払いやったの小学生だし……そんなの記憶の彼方だよ……埋没してるよ……と言うけど、遠山はちょっと特殊だと思う。でも、仁羽は片眉を跳ね上げて「確かにな」と重ねた。
「……俺がボーイスカウト入ってたっつーのも、小五までだしな。別に隠してねぇけど、公言もしてねぇし。そんな大層なことじゃねぇのによく覚えてんな」
「……まあ」
 感心した風に言われるので、適当に返す。そんなスゴイことのように言われても、俺にとっては当たり前のことだから困ってしまう。そんなの覚えているくらい、当然だ。してほしいことがあるならまずは自分でやってみないと、それはただのワガママだ。
「そっかー、すごいねぇ、園田。メノウ様も感心だって言ってるよ!」
 輝くように笑うから、そんな大層なことじゃないのになぁ、と改めて思った。そんな風に、まるでとてもスゴイことのように言わなくても。……まあ、この三人は普通よりもかなり周りに対する意識が薄いので、そう思うのかもしれない。
「お前らはちょっと特殊かもしんないけど、普通だよ。普通」
 そんなスゴイ話じゃないって、と続ける。確かに浮いてて消極的にはハブの三人だけど、どんな風に学校生活を過ごしているかくらい、ちょっと見ていたらわかってしまう。
「何もかも全部覚えてるわけじゃないし、知らないことだってあるし。ただ、ちゃんと覚えとこうって思うだけだもん」
 ただそれだけで、特別なことじゃない。いつかきっと忘れてしまう記憶だけど、せめてつなぎとめていようと思う。笑いながら言ったら、仁羽が不思議そうな顔した。遠山はぼんやりこっちを見ていて、成島は首を傾げる。
「些細なことかもしれないけど。知ってることがあるなら、せめて一秒でも長く覚えてたいじゃん」
 それだけだよ、と言った。大層な理由もないし、何か特別な意味があるわけじゃない。すると、仁羽に聞かれた。いたって普通の、単純な疑問の形。成島に尋ねた時みたいに、質問だけで構成された言葉。
「なんでそんなに覚えてたいんだよ」
 仁羽らしくないおだやかな言葉だったから。それとも、口に出さないだけで成島や遠山も不思議そうだったから。たぶん両方の理由で、答えていた。繕いもしないで素直に、心の底からぽろりと答えを落とす。
「だって、誰にも知られてないなんて寂しいじゃん」
 口にしてみてなるほどな、と思った。寂しいのはたぶん俺で、何より願っているのも俺だから、きっと俺は俺のために覚えていようとしている。
「誰も気づかないっていうなら、せめて俺だけは気づいててもいいでしょ?」
 茶化すように、誤魔化すように笑う。きっとこんなのは他の人の目から見たら、滑稽な努力なんだろう。小さくてどうでもよくて、何にもつながらない。だけど、もしもいつか誰かが「こんなこともあったね」って言ったなら、「そうだね」って言いたいんだ。
「自分しか知らない、自分だけしかわからないって思ってても、それを知ってるヤツがいるんだってわかったら、少しは寂しくないかなって」
 そうしたらいつか、必要としてもらえるかも、なんて。諦めることも出来ない俺の努力はこんな形をしている。見ていてほしいと願うなら、俺がきちんと人を見ていたい。呼んでほしいと思っているなら、呼べる名前はちゃんと持っていたい。
「そしたらまあ……ほら、お前は覚えててくれたか! って感謝されるかもしれないし!」
 なるべく何てことない顔でそう続けた。うっかりしゃべりすぎた。世間話みたく、馬鹿話だって思ってくれたらいい。もうほとんど癖みたいなものだけど、いつか、呼ばれたなら答えられるように努力だけはしておいてるなんてことは。
「まーそういうわけだからさー、別に名前覚えてるのとかも大したことじゃないんだよな」
 細かいエピソード知ってるっていっても、全部網羅してるわけじゃないし。だからそんな感心しなくてもいいんですーと、冗談交じりに言って歩き出す。つい本音をこぼしてしまったのが気恥ずかしくて、足早に歩く。そしたら、後ろから背中にタックルをかまされた。つんのめりながらふりむくと、成島が腰にまとわりついていた。
「……なに、成島」
 足を止めてからひきはがしつつ尋ねると、切羽詰った顔で見上げられる。珍しく泣き出しそうな、この世の終わりかメノウ様に一大事でも起こったような、そういう顔をしているから身構えるけど。
「ごめん、僕、園田の名前知らない……!」
「……何だ」
 もっとスゴイこと言われるのかと思ったので拍子抜けした。しかし、成島は俺の反応が意外だったらしく、けげんそうな顔になる。
「……いや、俺下の名前で呼ばれることほとんどないから。知らなくても仕方ないでしょ」
 小学校の時から、記憶にある限り全員「園田」呼びだった。あだ名もあったけど全部名字由来だったし、下の名前で呼ばれた記憶が本当にない。
 ただでさえ周りに関心が薄い三人だ。下の名前で呼ばれる機会はほぼゼロだし、思い出そうとしたって記憶の中に出てくるわけがない。だから知らなくても全然驚かないし、むしろ知ってた方がびっくりだ。なのでぼんやり答えると、仁羽が言った。厳しさを感じるような声で。
「……で、お前下の名前は」
「……よしと」
 声の調子が強いから、反射的に答える。自己紹介でも何でもない時にこうやって名前を言うのは、そういえば初めてかもしれない、と気づいて少しくすぐったい。
「……字は……?」
 続けて遠山が尋ねる。眠そうなようでいて、目ははっきりしている。遠山らしい質問だな、と思いながら視線にうながされるように答えた。
「正義の義に人で、義人」
 答えたら、ずいぶん立派な名前してんな、と言う。それから、ふん、と鼻を鳴らしてからつぶやいた。
「忘れねぇよ、そんな大層な名前」
 小さいけど確かに聞こえて、どういう顔をすればいいのかわからない。確かに字は立派だけど、よく使われているし奇抜なものじゃない。だからそこまで大層な名前じゃないし、どこにでもあるようなありふれた名前だ。仁羽がそんなことに気づかないはずがないってよくわかってる。それなのにそんな風に、言うから。
 仁羽が歩き出し、俺を通り越した。遠山と成島も続き、花でも飛ばしそうな笑顔で言う。
「僕も、忘れないからね! ちゃんと覚えてるよ」
 あまりに朗らかでとっておきの決意でもしたような顔で笑うから、どう返せばいいかわからない。口ごもっていると、そんなことを気にしない成島はさっさと通り越していく。すると遠山が先の方で言った。
「うん……俺も、忘れないよ……。園田の、名前」
 いつもは眠そうな遠山の顔が、一瞬笑ったように見えて、目をしばたたかせる。そしたら今にも寝そうな顔だったら、見間違いだったのかもしれない。だけど同じくらい、笑っていたのかもな、と思った。笑っていたんだと思うことくらいは、許されているのかも。
 前を見れば、三人がこっちへ顔を向けている。にこにこ、満面の笑みの成島。眠そうに目を細めて、だけどちゃんと俺を見ている遠山。不機嫌そうに舌打ちをしているけど、きちんと待っている仁羽。遅れまいと小走りで追いつくと、成島が思い出したように聞いてきた。
「そういえば、ちょっと疑問なんだけど、園田っていつ名前覚えたの?」
「えー……いつって、クラス替えして自己紹介した時に大体覚えるけど……」
 もっとも、友達の友達は友達、の原理で、中二現在知らない人なんてほぼいないので、自己紹介は記憶と名前の確認タイムだ。だから、名前覚えるのなんてそんなに難しくないんだけどなぁ、という気持ちで三人を見ると、ものすごい特技、みたいな顔をしていた。確かに人の顔と名前を覚えるのは得意だ。でも、それは必要に迫られてやっただけで、たぶん特別記憶力がいいわけじゃないと思う。それに。
「……っていうかさ。俺じゃなくたって覚えてると思うよ。仁羽たちが関心なさすぎるんだと思う……」
 そうか? という顔をしてるけど、絶対仁羽たちの方がおかしい。学年全員はないとしても、クラス全員なら覚えててもおかしくない。誰のフルネームも知らないなんて、自分以外に興味がないにもほどがある。ここまですっぱり他人を気にしないで生きていければ、ある意味気持ちいいのかもしれなかった。俺には出来ないけど。
「やっぱりさぁ、園田はすごいよねぇ」
「いや……お前らのがすごいだろうよ……」
 周りと関わる気ゼロで実践出来て、少しも苦痛を感じてないんだから天晴れだとしか思えない。だけど、成島はにこっと笑って「諦めないで偉いよねー」なんて言う。
 どう返そうか、と考えていたんだけれど。昇降口を通り過ぎ、階段を上りかけていることに気づいてふと声をかける。
「……ん? そういえばどこに向かってんの? 俺たち」
 体育館通用口の前にずっといても仕方ないだろう、と引き返してきた。最悪学校で一晩明かすなら一階より二階の方がいいかなー、とかのんびり考えていたから二階に行くのも別に嫌じゃない。だけどこの後どうするんだっけと思って聞いただけだ。成島が楽しそうに階段を一段飛ばして駆け上がっていくのを見ていたら、遠山がぼそり、と言う。
「え……? 窓から出るんでしょ……」
 聞いた瞬間、今すぐ引き返そうと思った。だけど三人ともそれを瞬時に察したらしい。成島がにこっとやたら力強い笑顔を浮かべていて、仁羽が爽やかなのに薄ら寒い顔で首根っこをつかむ。遠山は「怪我人の俺が行くのに……園田が行かないわけないよね……?」とか言って、力強く腕を握っている。
「落ち着こう、三人とも!」
 とりあえず叫んでみたけど、ドナドナよろしく二階まで連行されて行くしかなかった。