読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Note No.6

小説置場

第五章 02

「まつりばやしがきこえる」

 乾いた唇を開く。拳を握りしめて、奮い立たせて言葉にする。後には引けないとわかっているはずなのに、熱に浮かされるように言葉が浮かぶ。だって、許してくれないなら、一緒に行こうって言ってくれるなら、どれだけ怖くたって嫌だって。そう言ってくれるなら、俺だって願いたい。俺だって本当は、願いたい。置いて行かないで。一人にしないで。みんなと一緒に行きたい。諦めないでいてくれるなら、三人が当たり前みたいに置いていかないと言ってくれるなら、それなら俺も声にする。
「…………俺も、みんなと、行くよ」
 俺だって一緒に行きたい。出来るなら一緒がいい。感情のまま唇からこぼれる。冗談みたいに震えた声が紡いだ言葉に、成島がぱあっと笑った。遠山は何も言わないけど小さくうなずいて、仁羽が「よし」とつぶやく。
 でも言った瞬間ものすごく後悔して、波のように不安が押し寄せる。「やっぱ今のナシで!」とか言いたかったけど、今さらそんなこと言ったら本当に迷惑もいい所だ。何より、すっくと立ち上がった成島は完全にやる気だった。
「メノウ様がいれば落ちないから、大丈夫。信じていいよ」
 窓まで歩いていった成島は振り返り、そう言う。靴を履きかえると、鞄を肩にかけてひょいっと体を浮かせ、窓枠に腰かける。足は外に出ているから不安定だ。
「ね、園田」
 成島の安定しない体勢に、他人事ながらびくびくしていたら名前を呼ばれる。首をそらすようにしてこっちを見ていた。
「下で、ちゃんと待ってるからね。置いて行ったりしないから、園田もちゃんと来てよ」
 何かを言おうと思ったのに、言葉が出なかった。その隙に、先に行くね! と宣言して、成島の姿が消えた。俺は手の中のあみぐるみ――メノウ様を両手で握りしめる。成島がやってたみたいに。大丈夫。待ってるって、言ったから。大丈夫。
「……早いね……」
 いつの間に窓際まで近づいていたのか、ぽそり、と遠山がつぶやいた。成島を見ているらしく、「よくあんなにぱっぱと……進むね……。得意なのかな……」とぶつくさ言っている。
「……この木結構太いし、丁度いい具合に枝が出てるからね……。たぶん、下りやすいよ……?」
 いつの間にか窓に近づいていてた遠山が、ぽそり、とつぶやいた。どうやら俺に言っているらしい。目の前にある枝について伝えてくれた所によると、窓のわずか下に張り出した枝は太くてしっかりしてるし、位置的にも「下りてください」と言わんばかりの絶妙な位置にあるらしい。
「……あ、着いたみたい……」
 地面の方へ視線を移したらしい遠山が言うのと同じくらいに、成島の声がした。何かを叫んでいる。とりあえず無事らしい。ほっとしていると、遠山はあっさり仕度を整えて、腕で上体を持ち上げると窓枠に腰掛けた。それから首を巡らせてこっちを見た。笑った。
「……じゃあ、下で待ってるから」
 真っ黒でも何でもなく、月の光みたいに澄みきって、透き通っている。ああ、こういう笑顔をするんだ、と思った。いつも眠そうで、何を考えてるかわからないけど、たまにひどいけど、こういう笑顔を、するんだ。
「……行ったな」
 下りていく遠山を眺めながら、仁羽がつぶやいた。こっちに歩いてくると、座り込んでいた俺の腕を引いて無理やり立ち上がらせる。
「お前を最後にしたら、いつまで経っても下りて来なさそうだからな。俺が尻叩いてやるよ」
 有無を言わさない口調。しかも内容がものすごく想像出来るので、文句も言えない。
「まあ、お前の鞄は俺が持ってってやる」
 床に転がっている俺の鞄を拾うと、自分の鞄と一緒に肩にかけた。仁羽がやさしいなぁ……と思って見てたら目が合った。視線の意味に気づいたらしく、苦々しげに答える。
「何だよ。ただでさえ不安なんだから、なるべく不安要素減らすのは当然だろ」
「そ、そうなの……? ありがとう……」
 礼を言えば別に、とそっけなく返ってくるだけだった。そこでメノウ様をずっと握りしめていたことに気づいて、いそいそとポケットにいれる。お願いします、無事に済みますように……。
「……ん、遠山が着いたみたいだぞ」
 窓に寄っていた仁羽の声に、心臓がひときわ大きく脈打った。下から声が聞こえている。
「ほら。園田の番だ」
 と言われても、足が動かない。頭ではわかっているつもりなんだけど、体の方は完全に拒否している。数秒は待ってくれたけど、仁羽は短気だ。すぐにいらっとした顔で、腕を引っ張られて窓際まで連れて行かれる。ぎゃあぎゃあ喚くけど、意味はない。
「……ほら。お前の、番だよ」
 下駄箱から取ってきた俺の運動靴(頼んでないのに持ってきてくれた)をぶん投げられる。拒否したかったけど、自分で決めたことだ。渋々履き替える。よし、深呼吸だ、深呼吸。窓枠に手をついて下を見ると吸い込まれそうな暗闇が広がっていた。思わず固まる。
 いや行くんだ、行かなくちゃ。気持ちだけはそう思うけど、むしろこのままへたれこみそうになる。窓枠を握りしめたままで固まっていたら、仁羽のため息と声が聞こえた。
「……園田、こっち向け」
「……なに?」
 振り向くと、仁羽のしかめ面が真正面にある。「窓枠に座れ。こっち向いてて良いから」という声は強い響きがあって、導かれるようにして従う。何回か挑戦して、どうにか成功する。仁羽の腕をつかんだままで、仁羽にもつかんでもらってたけど。離すなよ、離したらお前の怖がりばらすからな! と絶叫していたのでかなり強い力だった。
「そのまま、ゆっくりでいいから方向転換な」
 声なんて出してられなくて、無言でうなずく。バランス取るだけで精一杯だ。そろそろと動いて少しずつ体の向きを変えていく。横を向いて窓枠にまたがる形になり、さらに慎重に体の向きを変えていく。心臓の音が、頭の奥に響いている。前のめりになりながら手に力をこめる。サッシが手のひらに食い込む。もう片方の足を窓枠の上まで持ってきて、どうにか窓の外に足を投げ出した。
「……後は足元にある枝から、幹の方まで行くだけだ。そこそこ太いからな、どうにかなんだろ」
 仁羽の声は確かに聞こえているのに、上手く意味を結ばなくて何が何だかわからない。下腹がすーすーする。たまに吹いてくるぬるい風、木の匂い、背中を伝う汗、不安定な足元、体中に鳴り響く心臓の音。それくらいしかわからない。仁羽の声が耳元でする。
「……ほら。お前を下で待ってるぞ」
 誰が? と思った。誰が俺を待ってるんだ。思って、顔が浮かんだ。でも、耳鳴りみたいな心臓の音に消されそうだ。手足の先まで心臓になったような気がする。ばくばく、うるさい。
「下にはあいつらがいてお前を待ってる。まぁ、後ろには俺がいる。だから安心して行け」
 肩を叩かれた。唾を飲む。のどが痛い。行くんだ、行かなきゃ。だけど、力が入らない。足の下にある枝、そこにおりなきゃいけないのに、それなのに、窓枠からおりられない。心臓が、うるさくて仕方ない。
「……園田、ほら。下から、聞こえるだろ」
 ふと、どうにか耳に飛びこんだ仁羽の声が、和らいだ気がした。下、から。聞こえる? 自分の呼吸、それから心臓の音以外に、何が。聞こえるって、言うんだろう。思う、けど。
「待ってるって言ってたけど、そろそろ飽きてきたんじゃねぇの?」
 顔が浮かぶ。「待ってるから」と言った人。笑顔。ぴんく色のうさぎ。「待ってるから」ポケットの中のあみぐるみ。思い出す。そうだ、待っててくれるから。慌てて追いかけなくていい。前みたいに急がないで、ゆっくり下りてもいいんだ。耳を澄ました。心臓の音は響いてるけど、音はきっと届く。耳を澄ます。お囃子は聞こえない。心臓の音がする。それにまぎれるみたいに、声が聞こえる。間違いのない声がする。
「そーのーだー、よーしーとーっ! にーわっ、たつきーっ!」
「園田義人ー、仁羽達樹ー」
 間延びしたような声は確かに俺の名前を呼んでいる。あそこに行かなくちゃ、と思ったら案外簡単に、窓枠から下りられた。枝の上に立つと少ししなったけど、問題なさそうだ。
 頭上にある枝に手をかけて、足を踏み出す。慎重に、一歩ずつ。進みながら、真ん中くらいで立ち止まった。幹までは、もう少し。注意深く後ろを見たら、仁羽と目が合った。
「……待ってるよ」
 下で待っていてくれる二人と同じ言葉を、仁羽に向けた。俺の後ろにいてくれた仁羽に。ポケットの中のうさぎとか、笑顔を思い出しながら言った。仁羽は小さく手をあげて、おう、と答えた。気をつけろよ、なんて言う。
「お前はそそっかしいから、注意しすぎるくらいが丁度いいんだよ」
「……あー、うん。そうかも……」
 再び前を向くと暗がりが迫っていた。そこにあるのは幹と枝と葉っぱのはずだ。暗闇に見えるだけでそこにはちゃんと、木があるはず。思うけど、また振り返って仁羽を見た。今度は呆れたような顔をして、さっさと行け、みたいな顔をしている。……うん、ここで戻るのは自殺行為だ。下からはずっと、二人の声が聞こえている。名前を呼んで、くれている。その一つ一つを噛み締めながら、俺はそろりそろりと前へ進む。
 深呼吸を繰り返して暗がりの中へ入り、幹まで到着。思わず抱きつく格好になって、幹の表面がぱらぱら剥がれた。顔やら腕やらに、葉っぱだか枝が刺さってちくちくする。ふんわりと木の匂いがかすった。風はない。遠くで虫が鳴いている。下にあるのは果てしない暗闇で吸い込まれそうなことも変わりはない。地面が遠くてここが高いことも同じだ。酸素が薄い気がする。自分の呼吸の音がやたら大きく聞こえる。心臓が強く鳴っている。
 だけど、思ってたよりも俺はしっかり立っている。緊張はしてる。でも、パニックになったり座り込んだりはしてない。俺はちゃんと立っている。抱きついていた体を起こして、幹の表面に添えていた手に、力を込めた。下へ行くんだ。だって、俺を待ってくれてる人がいる。後からはきっと仁羽がやって来る。ポケットの中のうさぎ。透き通った笑顔。つかんでいてくれる手。そういうものを知っているから、平気だと思った。
 目線の高さの枝を持ったまま、重心を下ろしていく。幹に手をかけつつ、下の枝に着地する。どっど、心臓の音が耳にこだまする。まぎれるように聞こえるのは、枝の軋む音、葉っぱのこすれる音。かすかな虫の音、甲高い笛みたいな音。風が入らない木の中にいるからなのか、汗がじんわり広がっていく。背中や首すじに伝わる汗が気持ち悪い。
 短く息を吸う。幹に手を添えて、足に力をこめる。上の方で葉っぱが動いている。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫なんだ。頭の中で何度も唱える。汗で濡れたてのひらを、ズボンでぬぐった。ついでに袖で顔も拭いたけど、あんまり効果はなかった。
 次の枝をつかんで、呼吸をととのえた。あの日のことが頭をかすめる。すぐに忘れてしまいそうな記憶なのに、全部覚えている。こんな夜じゃなかった。太陽が頭上にあって、辺りに光が散っていて、だけど木の中は少しだけ暗かった。瞼の裏に光の残像がちらついて、変な気分だった。
 目を凝らしながら足を下ろす。段々目が慣れてきているのか、それとも昔の記憶のおかげか、足を置くべき枝が何となくわかる。早く抜け出したい。呼吸が荒い。苦しい。きちんと足をかけたつもりが、滑る。つかんだ枝でどうにか体勢をととのえながら、息を吐く。汗が垂れる。
 短い呼吸音が耳障りだ。汗を拭うけどあんまり意味がない。張り付いたシャツが気持ち悪い。心臓の音ががんがんしていて、長い時間ここにいるみたいだ。下りているのか登っているのか何だかわからなくなってきて、ふと上を見た。その時、ざわっと木が揺れた。ざざざっ、と体を揺らした木がうなる。ひどい耳鳴りのように、全ての音が塗りつぶされる。