Note No.6

小説置場

第五章 04

「あとちょっとだよ!」
 手を叩いて、成島が満面の笑みでそう言う。遠山も何だか楽しげに、「無事に下りられたみたいだね……」なんて言うから、俺も「おう!」とうなずき返す。
「ちゃんと木登り出来たねっ! ……この場合は木下りっていうのかな?」
 真顔で考え出すのが成島らしくて、思わず笑ってしまった。そうすると、自然と胸の奥がふわふわしてきた。そうだった、久しぶりだけどちゃんと出来たじゃないか。落ちずにここまで来れたんだ。そうだ、あの時とは違う。俺はきちんと、前に進めた。怖かったけどどうにかなかった。出来ないと思ってたことが出来た。浮かれたテンションは、幹伝いに下りるより枝からジャンプした方が早い、と言っている。それに何より、不安定な枝よりもしっかりした地面に早い所辿り着きたい。というわけで、枝から地面に飛び下りる。
 しゃがみこんだ姿勢から、膝を伸ばして枝を蹴る。いつか感じた奇妙な浮遊感と、下腹が縮まるような感覚と共に、地面に引っ張られていく。しかし。
「ひぎゃあっ!」
 飛んだ、と思ったのも一瞬。地面に着いた、と思った途端バランスが崩れて後ろに体が傾き、尻に衝撃。頭まで痛みが貫き、ついでに息も出来なくなり、ゴホゴホせきこむ。何が起きたのか理解しきれず周りを見る。同じくらいの目線には茂み。てのひらをついているのは、地面。少し顔を上げたら、足。
 上を見たら目を開いて俺を見下ろす、成島と遠山が立っていた。俺は少しだけ考えた後、ブイサインつきで言った。
「園田義人、到着」
 真っ先に反応してくれたのは成島。ぱっと笑みを広げて、いらっしゃい! とか言っている。
「……待ちくたびれたよ……?」
 あくびを挟んでからそう言った遠山だけど、目元は薄ら笑っているような気がした。気恥ずかしいような、浮かれるような不思議な気分で、へへへ、と笑みを浮かべて二人を見る。成島が何か言おうとしたみたいだけど、その前に盛大に頭上の枝が揺れる。
 音の方向を見たら、さっき俺が立っていた枝の所に仁羽が立っていた。頭は葉っぱの中だから足しか見えない。仁羽はためらいもしないで、当たり前の動作の続きみたいに枝から飛び下りる。そうして、何てことない顔をして、すとん、と俺の隣に着地した。
「わあ、仁羽もいらっしゃーい!」
 にっこにっこ、それはもう楽しそうに成島が仁羽を出迎える。遠山も仁羽に向けて「変な物見なかったみたいだね……」と気遣うようにも聞こえる台詞を口にしているけど、やたら楽しそうだ。
「まあな。……園田、鞄」
 仁羽は短く答えると、上で預かってくれてた鞄を投げてよこした。ああそういえば、持っててくれてたんだっけ。おかげで荷物を気にしなくて済んだわけで、ありがたい。
 視線を上に向けると、仁羽と遠山と成島が何やら話しこんでいる。これからの話をしているのかもしれないし、案外くだらない話をしているのかもしれない。きっと、俺の所為で随分時間はかかったのに、そんなこと一言も言わない。当然みたいにしてくれている。座り込んだままでぼけっと三人を見ていた。今さら疲れがやって来たみたいで、頭がぼんやりしている。だからだと思う。
「いつまで座ってんだよ」と、仁羽がぶっきらぼうに言うと成島と遠山もこっちを見る。「行こう」って成島が笑う。遠山も口元を上に引き結んでうながすみたいだ。迷惑だったろうに、俺がいなかったらきっともっと上手く、簡単に済んだのに。
「……ありがとう」
 もやがかかったような頭は、勝手に唇から言葉を落とした。にじんでいるのは、頭なのか視界なのかわからない。ただ素直に、思ったことが転げ落ちる。
「俺のこと、置いてったら楽だったよな。駄々こねて迷惑かけたのに、置いていかないでくれて、待っててくれて、ありがとう」
 ちょっとひどいと思ったけど。強引過ぎて人の話聞かないで嫌だっつってんのに強制参加だし、マジでこいつら人でなしか! って思ったけど。
「……後回しにされると思ったんだ。そんで忘れられるかなって、思ってた。誰も気づかないでそのままかな、って……」
 何言ってるんだろうって思ったのに。こんなこと言われたってきっと三人とも訳がわからないだろう。それなのに、一言も口を挟まないで聞いているのがわかるから、今ならちゃんと言えると思った。
「知ってたんだ。別に嫌だとかじゃなくて、ウザイとか思われてるんじゃなくて、俺なら大丈夫って思われてるの、知ってた」
 別に仲間はずれにされるわけじゃない。遊びの約束に「俺も行っていい?」って聞いたら楽しそうにOK出してくれる。だから悪気があるわけじゃないってわかってた。ただ、忘れられたり気づかなかったりするだけだ。
「わざとじゃなくて、俺なら平気だろうって思ったまま忘れられるんだ。気づかないで後回しにされて、そのまま適当にあしらわれるんだ。それでも俺は、笑ってたけど」
 だから変わらないんだとわかっていた。だけど、そうするしかないんだ。思った通りのことを言って、したいように動いて、本当に要らないって思われるくらいなら、みじめでよかった。
「……だから、いてもいなくても同じなんだなって、わかってたんだけど」
 今回だって、きっとそうだと思ってた。邪魔になってうっとうしくなったらきっとそのまま見捨てられる。置いていかれる。あの時みたいに行ってしまう。
「でも、そうじゃなかった」
 はっきりと口に出して三人を見る。面倒くさそうな顔をしているかな、と思ったけど成島は笑っている。にこにこ満面の笑みじゃなくて、時々見かけた深いほほえみ。遠山に笑顔はなかった。ただ真っ直ぐと視線を注いでいて、眠気が一つもなかったからよかったな、と思う。仁羽はものすごい形相で、眉間に深いしわを刻んでいる。何も知らなかったらどんだけ不機嫌かと思うけど、これはたぶんそうじゃなくて、何かを耐えてるだけなんだ。
「いないことを許してくれなくて、ありがとう」
 心から言葉をこぼしたら、にじんだ視界までこぼれて行きそうだった。だから慌てて、袖口で顔を拭うけどあんまり意味がない。じんわり浮き出している汗の所為だ。
 タオルがあればなぁ、と思ったけど持ってない。ハンカチなんて常備してないし……と思った所で、ポケットの中のものを思い出した。
「あ、成島。メノウ様ありがとう。すごいよな、おかげで無事に済みました」
 ゆっくりと立ち上がってから、ポケットに手を突っ込む。丁重に取り出し、両手で返した。
 ぴんく色の……糸か何かで編まれた人形。小さいけど、きっと成島は何度も握りしめて祈った。俺もちょっと祈った。成島はメノウ様を、そっと両手で受け取った。
「……最後はちょっと尻もちついちゃったけど、中々効果あったでしょ?」
 へへ、と照れたように笑う。最後のはまあ、置いておくとしても無事に着いたし、効果はあったと思う。だから「メノウ様のおかげで無事でした」と言ったら、馬鹿にした感じで仁羽が言う。
「……どうせ最後は園田の不注意が原因だろ」
 そりゃもう凶悪な顔をしているかと思ったけど、小さく笑っているから。俺もおどけて「どうせそうですよー。でも無事だったのでメノウ様効果はバッチリです、すごいんです」って答えたら、成島がとろけるみたいに笑った。それを認めてから、声をかける。
「……えーと……それじゃ、行く?」
 せっかく脱出も出来たんだし、と話題を変えると成島は「そうだね!」と力強く笑った。仁羽も、とりあえず校舎から出てきたことで落ち着いてきたのか、おだやかな声でつぶやく。
「ここから一番近いのは……東門か?」
「……そだね。東と南からしか帰れないからなー」
 ぐるり、と木立の間から校庭を見渡す。校庭を突っ切った先にあるのは北門だけど、出た所で大通りにつながってないから遠回りだし、ここを突っ切るよりは東門の方が断然近い。
「……まあ……距離的に……一番近いのは、西門だけどね……?」
 ぼんやりと遠山がつぶやいた。言っていることは間違ってないけど、西門も北門と同じく道は小さいし、いちいち大通りまで出る距離を考えると遠いので帰り道には入れてない。仁羽も同じ回答らしく、「じゃあ東門だな」と言って話を終わらせようとしたのだけれど。
「西門と北門って、あんまり意味ないよねぇ?」
 成島がはきはきと質問を投げかける。確かに、二つの門を出た所で、あるのは森だか雑木林だか、だ。そのまま進んでも山奥に入るだけなので、あんまり意味はない。生徒や先生が使っているのも南門と東門だけだし、正直あの二つの門はなくても全然問題ないと思う。しかし、成島の言葉に答えた遠山が発したのは、同意の言葉ではなかった。
「……西門と北門と神社って、直線上にあるんだって……」
 抑揚がないのに、遠山の声はよく響いた。どこを見ているかわからない視線で、「だから……本当は……異界とつながっててね……」とこぼす。
「……あれは俺たち用じゃなくって……人じゃないものが通るんだよ……」
 普段のテンションとまるで変わらない、近所の近道でも語るような気軽さだ。成島は素直に「ええーっ、すごいねーっ!」と、メノウ様に新知識を披露している。
「ここ、通り道だから……あの門には近寄らない方がいいんだよね……」
 一応話はそこで終わったらしく、くあ、と大口をあけてあくびをしているので。平和そうな遠山に向かって、とりあえず「仁羽に殴られるぞー」と告げた。
 案の定、うっかり学校の心霊スポットなんて聞いてしまった仁羽が青筋立てて拳を握りしめる。俊敏な動作で間合いを詰めると、一気に拳を振り下ろそうとしたのだけれど。
 意外と遠山は速かった。身の危険を感じると身体能力がアップするのかもしれない、別にそれはいいんだ痛いのって嫌だもんな。
「……だからってなんで俺の後ろに隠れるんだよ!」
「……園田。遠山をかばうなら、お前も俺の敵と見なす」
「ええちょっと落ち着いて仁羽!」
「つーか、お前らは今まで散々、俺のことを怖がらせて楽しんでいた節がある」
 そういうわけで殴られてもらう、とか言ってるけど「ああそうですかそれじゃあどうぞ」なんてことになるわけがない。全力で辞退します。
 仁羽はじりじりと間合いを詰めてくる。完全に、仁羽の中では俺も殴る対象に入っているらしいけど、これは完全にとばっちりだと思う。俺は後ろの遠山に視線を投げて、「なあ、どうにかして」と聞いてみた。どうせ何も言わないだろうけど、駄目で元々だ。しかし、意外なことに遠山が口を開いた。
「じゃあ……東門にはやく着いた方が、勝ちということで……」
「あれ、そんな話だった?」
 突然すぎるので思わずツッコミ。なんで走るの。っていうか勝ち負けの問題じゃないだろ。とか思ったのに、どういうわけかその言葉に一番乗り気だったのは成島だった。「徒競走だね!」と喜んでいる。
「まあ……逃げた方が良さそうだし……」
 わずかに笑みを浮かべた遠山の視線を辿れば、地獄の使者のような顔をした仁羽がいるのでうなずきかけるけど。
「いやちょっと待て。遠山お前足は!」
「ああ……そんなの、気力で治ったよ……」
「治るかっ!」
 しかし、俺の常識的なツッコミも完全にスルーされる。一方、全く空気を読まない成島は「じゃあ、位置についてー」ときらきらした笑顔で勝手にカウントを始めてしまう。ええと、どうしよう、とか東門までどれくらいあるんだっけ、とか色々考えてはいたんだけれど。
 成島が「よーい、どん!」と叫ぶのと、仁羽が殴りかかってくるのが同時だったもんだから、地面を蹴って走り出す。遠山も成島も走り出して、獲物が逃げれば仁羽だって走る。ええい、こうなったら全速力で逃げるしかない!