読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Note No.6

小説置場

第六章 03

「……神輿って帰る時、すげえあおるんだよな。周りの人もわあわあ声出して、騒げば騒ぐほどいいんだって、腹の底から声出すよ。だから、近くにいると耳鳴りみたいになんの」
 目眩がするほどの音の洪水だ。頭が割れるような、圧倒されるほどの楽器、人の声、音の嵐。うるさいくらい鳴り響くのだと、知っている。直に見たことがなくたって、町中にいればきっとどこかで耳にしている。
「一応聞く。神輿が帰って来る行列の音、何か聞いたか」
 誰も返事をしない。そりゃそうだ、聞いてないんだから。帰りの神輿行列なんて、誰かの耳に入るくらいなら、俺だって聞いてるだろう。それくらいでかい音だ。だけど聞いた記憶なんてどこにもなかった。
 三人とも仁羽の顔を見てから黙り込む。祭囃子みたいなかすかな音さえ聞こえたんだから、あれだけ大きな音を聞き逃すわけがない。それなのに、全然聞いた記憶がない。わかっているから、黙るしかないのだ。神輿行列の音は聞こえなかったってことの意味を。
 仁羽は鋭い目をしたまま、俺たちに視線を向ける。口元がひくひくしていて、言いたくないのに声にしようとしているみたいだ。
「……それで、だ。神輿行列の音とお囃子、どっちがでかいと思う……?」
 仁羽がゆっくりと言った。口元が吊り上がっている様子は笑ってるみたいだけど、これは違う。答えるのをためらっている雰囲気があったけど、黙っているわけにもいかない。
「……神輿行列……」
 一応もごもご返事したら、仁羽が小さく声を漏らした。笑い声のような、悲鳴のような。
「……だよな。俺もそう思う……というより、そう思うのが普通だよ、くそっ」
 早口で文句を言うけど、そうしたい気持ちもわかる。風に乗れば聞こえるんじゃないかって思ってたし、それは嘘じゃない。だけど、それなら、お囃子なんかよりよっぽど大きな神輿行列の音はどうして聞こえなかった? ほんのかすかな、笛や太鼓の音が届くなら、騒々しい行列の音たちは絶対耳に入るはずなのに。
 俺たちは誰一人、そんな音を聞いていないって知っている。聞こえる音が聞こえないのに、聞こえない音がはっきりと聞こえた。体の真ん中が縮むみたいな感覚がした。
「……よく気づいたね、仁羽……」
 普段と全然変わらない口調で、遠山はつぶやく。仁羽は吐き捨てるように答える。
「むしろ気づきたくねぇよ……」
 いっそこのまま気づかなかった方がよかった、とか言うのは紛れもない本音だろう。確かに、どうせならこのまま知らないでいたかった。しかし、成島はまるで気にせず明るく言った。
「んー……でも、今でよかったんじゃない? 校舎にいた時じゃなくて」
「……」
 想像しているらしく、仁羽が黙った。確かに、校舎内で気づいたらおかしくなれる。仁羽が気づいたのが今でよかった、と心から思った。
「……まあいい。はやく帰るぞ」
 自分なりの結論を下したらしい仁羽は、立ち上がると言った。俺たちも、あんまり深く考えない方がいい気がしたので、それ以上は突っ込まない。制服を叩き、東門を振り仰いだ仁羽はつぶやく。
「……登るのか、これ」
 登れるのか、という声だった。門は鉄の柵みたいになっている。すき間は細いから人間は通れないし、登るとしても足をかける場所がないのだ。しかもやたら高くて身長の遥か上。開いている時は何とも思わなかったけど、閉まっていると威圧感がある。
「あ、それは平気!」
 軽いバネで成島は立ち上がり、門のそばの木をぺしぺし叩いた。あ、嫌な予感……。
「これ登れば超えられるよ」
 にこっという笑顔に、またか! と叫びそうになる。また高い所か。成島は俺の表情に気づいたらしく、「さっきより全然低いよー」と笑った。……そうなんだけど、そういう問題じゃなくて……。そりゃさっきよりは登れるかなって気がするけど、あんまり進んで登りたくない。
 成島は俺の葛藤など知らない顔で、さっさと枝に足をかけて、完全に登る体勢に入っている。座ったまま駄々こねようかと思うけど、二階から降りた手前、仁羽辺りに容赦なく登らされそうな気がする。やばい、俺ピンチだ、と思ってたら、後ろから風が吹いた。短く、一瞬、ひんやりと。思わず腰を浮かせる。そして、振り向いた瞬間。強い風が、真正面から吹き付けて、後ろへ走り去っていた。
 変な風だ、と思った。だけど言わなかった。言わない方がいい気がした。無言で立ち上がる。心臓をわしづかみにされるような、つきつきとして凍えた風だった。夏の夜の風じゃない。ほのかに水の匂いが混じるような、ひやりとした風だった。一歩踏み出すと、足の下の小石を踏んだ感触がした。なのに小石を踏む音がしない。風はもう吹かない。だけど、あの風が音をさらって塗り替えてしまったのかもしれない。音がしない。虫の音が聞こえない。もう一歩踏み出した所で、足が止まった。だって、聞こえてしまった。
 図書室で、廊下で聞いたものより、もっとはっきり、もっと近くで。笛の音が、太鼓の音が、鈴の音が、お囃子が、耳に届いた。体が強張る。音は俺たちの後ろ、校庭の方から聞こえる。筋肉がきしむ。時が止まったと言われたら、信じてしまったかもしれない。誰も動かず、固まっている。ただ、時間はきちんと流れているのだと、時は刻まれているんだと示すように、お囃子だけが響いている。
 だけど突然、お囃子以外の音がした。叫ぶ声。一瞬それは意味をなさなかったけど、すぐに理解する。
「登って!」
 いつだって、先陣を切るのは成島だ。すでに登りかけていたらしく、軽々と上まで登っていく。それから「安全だよ、大丈夫!」と叫んだ。その声に答えるようにして仁羽が動き、きしむ筋肉をどうにか動かして俺も走ろうとして、気づいた。仁羽もわかった。
「遠山っ!」
 遠山はいまだに地面に座ったままだった。何やってるんだ! と思ったけど一番そう思っているのはなぜか当の本人らしく、目を丸くしている。
「……足が痛い……」
 呆然とつぶやく遠山に、だから気力じゃ治らないんだって! 走るなんて無茶するから! と内心で叫ぶけど、今は意味がなかった。どうしよう、と思ったら遠山が言った。
「……置いていって、いいよ……」
 俺はいいから、三人は行っていいよ、なんてひたすらシンプルな笑顔で言う。その顔を知っている、と思った。当たり前の顔をしてるけど、決してどうでもいいわけじゃないって知ってる。それに重なるようにして、木の上からは成島の声がした。
「ねえ……! 何か、近づいてきてるんだけど……!」
 悲鳴にも似た調子で告げられて耳を澄ますと、音はさっきより大きくなっている気もした。俺は遠山を見る。遠山も俺を見ている。ゆるく、冷たい風が吹いた。
「駄目だからな!」
 お囃子を聞きたくなくて、叫んだ。
「ここまで来たら、四人一緒じゃなきゃつまならいって言ったの、お前だろ!」
 ほんの二、三歩、遠山の前までダッシュする。目の前に立ち、座っている遠山を見た。置いていっていいなんて言ってほしくない。そんな簡単に言うなんて許さない。置いて行かれるのが当たり前の顔をするな。あの時俺たち言ったじゃないか、置いていかないって。そしたらお前は選んだじゃないか。一人だけ置いていってもらえるなんて思うんじゃない。
「大体……俺だって怖い思いしたんだから……、お前も痛いの我慢しろっ!」
 言って、腕をつかんで立ち上がらせる。よろめく体を支えて、腕を肩に回す。駄目になったら肩を貸してやる。それでちゃんと、行くんだ。美術室に戻ってきた時の遠山の顔を思い出す。変な顔をして「……戻ってきたんだ……」と言っていた顔を思い出す。そうだ、戻ってきた。一緒に行くから戻ってきた。「俺は置いていっていいから」と言っていた遠山。取り残されるのを当然だと諦めてた。置いていかないって言ったらあんなに真っ直ぐ俺を見ていた。あの時置いていかないって言ったら受け入れた。四人一緒じゃなきゃつまらないって、俺を置いていってくれなかった。だから今だって、どれだけ嫌だって言ったって。先に行ってくれって頼まれたって聞いてやらない。置いていかないで一緒に、行くんだ。
 短い距離を経て、木の根元に到着。お囃子が近づいてきているのは気のせいじゃないみたいだ。冷たい空気が時たま足元に触れて、這い上がってくる。
「押し上げてやるから、先に行け。俺たちちゃんと、後から行く」
 木の上には成島がいて、下には俺と仁羽。遠山は珍しく困ったような顔をした。
「はやく行け。お前を先に行かせねぇと、安心出来ねぇんだよ」
 ぶっきらぼうに仁羽が言い放つと、遠山は決心したのか枝に手をかけ、体を持ち上げる。痛くない方の足を幹にかけ、背中を二人で押し上げる。上から成島が引っ張り、どうにか体が木の上に隠れた。一つ息を吐くけど、お囃子が近い。冷たい空気が肘あたりまで上ってきた。はやく! と成島が叫ぶ。
「……園田、はやく行け」
 仏頂面で木を指すので、俺は口を開いて仁羽を見た。仁羽は凶悪な顔で何だよ、と言う。
「え……いや、仁羽最後でいいの……?」
 お囃子の笛、太鼓の音。這い上がってくる冷たい空気に、聞こえないはずの音。学校の怪談なら、舞台設定として充分すぎる。正気を保ってられるかアヤシイ、のに。凶悪というか、泣くまいと顔をしかめて、はやく行け、と言う。
「……んだよ。まさか、まだ高い所が嫌だとか言うんじゃねぇだろうな」
 反射的に首を振る。正直な話まだ充分嫌だったけど、言ったら本気で殺されそうだった。
「……お前も先に行かせねぇと、安心出来ねぇんだよ」
 下で駄々こねられても困る、とつぶやく仁羽。そうか、と納得した。なるほど、仁羽はこういう人間か。
「……ありがとう」
 後ろにいる、と言ってくれる仁羽に礼を言って枝に手をかける。昔やってたみたいに、足をかける。さっきの木よりザラザラしていて登りやすい。よけいなことは考えない。怖いなんて言ってられない。今はただ、登るだけだ。上だけを見て、登るんだ。
「園田、もう少し上……」
 ぼんやりとした遠山の声に導かれる。下さえ見なけりゃ高さなんてわからない、と思い込む。木の上は蒸しているかと思ったのに、わりと涼しい。理由は考えないようにする。下のほうががさがさと鳴る。仁羽だろうな、と思ったらすぐに仁羽の頭が出てきた。お疲れ、と笑えば潤んだ目でおう、と答えた。
 全員登ったのを確認して、成島が動き出す。このまま学校の外に降りるのだ。下からは冷気が立ち上り、お囃子はどんどん近づいてくる。はやく行こう、と思うけど不意に、さっきみたいに風が吹いた。
 さっきよりも強く、木々を揺らす。登っている木が大きくうねって、慌てて枝につかまって足に力を入れる。ざざざっと唸って風が通り過ぎる。酸素すらも奪っていきそうな強さに、呼吸も自由にならない。それでもほのかに、水の匂いを感じる。冷たい空気が、周りを満たす。同時に、お囃子がくっきりと耳を打った。風の音は聞こえない。虫の鳴く声もしない。ただ、お囃子の音だけがはっきり響いていたから、思わず校庭の方を見る。葉っぱのすき間から、グラウンドを見る。ほとんど月の光だけで照らされる校庭の様子は、木の上からじゃほとんど見えない。だけど。
 校庭にはうっすらと、小さい影が這っているように見えた。人間にしてはずいぶん小さくて、不恰好な影。一列になったその影は、笛やら太鼓やらを鳴らしている。行列は大人数がいるみたいで長い。背中がずいぶん出っ張っている、と思った。何かを背負っているように見える。子どもみたいな背丈なのに、手足はずいぶん長い。きらきらと、頭の上で月光を弾く。奇妙な一団は、ゆっくり校庭を横切ろうとしているように、見えた。
 まばたきをしたら、見間違いのようにも見える。確かにそこにある気もするけど、視界は葉っぱに遮られていて見えにくい。まばたきするたびに揺れ動くから、ただの錯覚や見間違いかもしれない。はっきりとしているのはお囃子だけで、影は本当にあるかどうかわからない。お囃子だけが音を鳴らして、動いている。あれは単なる錯覚だと強く言われれば納得してしまう。だけど耳に響くお囃子だけははっきりしている。だから、確かめようとしたのかもしれない。あの影をもっとよく見ようと、身を乗り出したのかもしれない。だから、前にかがんだ体の胸ポケットから、こぼれ落ちてしまったのかもしれない。