Note No.6

小説置場

第六章 04

 あっという小さな声が聞こえたかと思うと、ぴんく色をしたものが転々と葉っぱや枝にぶつかりながら落ちていった。一瞬考えてから上を見ると、暗くてはっきりしないけど、成島が固まっている。重苦しい沈黙が流れる。最初に声を発したのは成島だった。
「……メノウ様……」
 つぶやきが呆然と響く。どうしよう、取りに行こうか、と下を見ようとした所で思わず動きを止めた。お囃子が止まっている。気づいたんだ、と思った。影が、見ている。
 校庭を横切るように見えた影が、立ち止まっているらしい。一直線にこっちに視線を向けている。お囃子を止めて、距離なんてないみたいに強く、こっちを見てる。それに気づいたのは俺だけじゃない。全員、動きを止めた。静寂が支配する。視線が形を持って突き刺さるみたいに、こちらに向けられているのがわかる。
 つばを飲み込んだ。動けない。のどがひくひく動いた。枝をつかむ手や、かけていた足に力をこめる。動かないよう力をこめる。ただの思い過ごしなのかもしれない、けど。校庭の方からはまるで焼くような、息苦しくなるような視線が、真っ直ぐ伸びている。水面に落とした石のように、木から落ちたメノウ様は、確かな波紋を広げていた。動くことを、静寂を破ることを、許さないほど澄み切っている。冷えた空気が、木の上まで吹き上げる。制服越しでも、冬の朝に水の中へ手を入れるような凍てつく空気を、感じている。鳥肌が立つのがわかった。
 誰も動かなかったし、何も言わなかった。冷たい空気が支配する。動かないのか、動けないのかもわからなかった。だけど突然、成島が言った。のどにはりつく悲鳴みたいに、無理やり声を吐き出す。
「……い、行こう……っ」
 顔はよく見えないけど、声がにじんでいる。うわごとにも似た調子。どうにか絞り出した声はほとんどつぶれかかっている。
「……行こう……っ」
 もう一度くり返した。細い呼吸で紡がれるような、不安定な響きで成島はまた言った。震える声で、行こうと言った。
「メノウ様は……っ、……いいから」
 明日迎えに行くよ、と言った顔は笑っているのかもしれなかった。思わず首を振る。突き刺す空気が、わずかに逃げる。メノウ様を手にして、切々と語る成島。話しかけて、ね、と相槌を求める。すごいって言ったら笑った。ひなたに置いたバターみたいに、とろけるように笑った。ひとりきりに出来るわけないでしょ、と唇を尖らせる。祈るように握りしめている。ぴんく色のうさぎ。ぴんくのあみぐるみ。成島の、成島が信じる、メノウ様。よく知ってる。だから。
「いいわけねぇだろっ!」
 仁羽が叫んだ。そんなに簡単に諦めていいわけねえだろ、散々メノウ様メノウ様言ってきたんだ、今さら諦めるんじゃねえ! と吠えた。成島が何かを言い返す前に、盛大な音が足元からした。仁羽の頭が消える。
「……仁羽!?」
 叫びながら足元へ目を凝らす。高いかもしれないけど、そんなことは関係ない。たぶん、仁羽が地面に下りた。その瞬間、空気を切り裂く笛の音がした。続いて太鼓や鈴の音が、空気を震わせる。ざわりざわり、と枝がこすれる。お囃子に共鳴するみたいに、木々は揺れて風がうなる。虫は鳴かない。振り落とそうとするみたいに木が揺れてうるさいのに、かき消されることもなく、お囃子は俺たちに届く。
「仁羽、はやくっ!」
 下をのぞきこんで叫んだ。それだけでも、うっすらと顔を冷たい空気がなでていく。風の音。揺れる木。お囃子。誰かの叫び声みたいに、高く鳴る。頭の奥を突き刺すみたいに甲高く凶暴に、鳴り続ける。もう一度呼ぼうと思ったら、下から頭が突き出た。さあっと木の上まで空気が流れ込む。
「園田、パス」
 体ごと持ち上げ、枝のすき間に腰をおろしながら、右手をつき出して言った。ざわめきに掻き消されることもなく、届いた。顔は真っ白で、眉を寄せているけどたぶん怒ってるわけじゃない。こらえているだけだ。俺は右手の下に手を出す。開かれた手から俺の手に、ぴんく色をしたうさぎのあみぐるみが落ちてきた。少し砂がついて、すっかり冷えている。指で砂を落として、ぎゅっとにぎりしめる。案外しっかりとした感触の、小さなうさぎを握りしめる。
「……遠山、パス」
 腕を伸ばして、少し上の方にいる遠山へ、メノウ様を差し出した。遠山は振り落とされないように片手で枝をつかみながら、もう一方の手で受け取ると、てのひらの中をのぞきこむ。無表情のようだったけど、眠そうな顔ではないような気がした。風が鳴る。木が唸る。笛は甲高く、太鼓は響いて、鈴は細かく鳴っている。
「成島……はい」
 遠山が、成島の手にメノウ様を戻したみたいだ。やっぱり、そこが一番落ち着く場所だ。メノウ様は、成島のそばにいるのがぴったりだ。高い場所から、声が降る。最初は葉っぱや枝の揺れに消えたけど、次は聞こえた。
「……ありがとう」
 ちゃんと、成島の声が聞こえた。顔は見えなくても、声の響きがきちんと伝えてくれた。遠山は無言だけど、そんなことないって言うみたいに手を振った。仁羽は別に、とぶっきらぼうに言った。照れてるのかもしれない。俺はいいよって笑った。見えなくても、たぶん伝わる。
「悪霊退散は出来ないけど……メノウ様はちゃんと守ってくれるよ」
 明るい声で、あんまり明るくなれないことを言う。でも、笑ったのかな、と思った。ひなたみたいに、笑ったのかも。メノウ様と一緒の成島は、たぶん最強だ。
「あ、でも。……何かお囃子、順調に近づいてるねぇ」
 間延びした声でそんなこと言うから、俺たち三人は黙り込んだ。必然的に、音がよく響く。風の音。揺れる木々。それから、笛の音が高く、耳鳴りみたいに鳴る。太鼓は芯に響く。鈴が頭の中でわめくみたいだ。
「……こっちに向かってきてるみたいだね……」
 遠山が淡々とつぶやく。反射的に振り返って、急いでまた戻った。月の光が照らし出す、校庭の様子。さっきよりはっきりした形を持った影。ゆらゆら近づいてきているみたいに見えたけど、俺は何も見なかったことにする。三人とも黙り込んでしまって、沈黙にお囃子が混じる。風が一緒に冷気を運んできて、首すじが寒くなる。そのうち涼しいとかいうレベルじゃなくなる気がする。誰もしゃべらないで、お囃子の音だけが近づいてくるのをひしひし感じてしまうから、耐えかねて声を出した。
「……でも、やっぱりさ……。ここまで来られたら……取り憑かれちゃうのかな……」
 思い出してるのはメリーさんだ。電話で段々近づいてくるという例のアレ。最後は「あなたの後ろにいるのぉぉ!」ってアレだ。
「それとも……異界に連れ去られるとか……あ、もしかして喰われるとか!?」
 叫んだら、真下に衝撃。座ってた枝が揺れた。見ると、仁羽が枝を蹴ったらしい。落ちたらどうするんだよ、と思ったけど足を置いたままにらみあげられて黙る。
「だから……お前、ヒト怖がらせて楽しいかよ……?」
 怒気を通り越して殺意すら感じさせる声音に、思いっきり首を振った。
「そういうことじゃなくてー! 俺は思ったことを言っただけだよ!」
「だから余計に迷惑なんだよお前は!」
「そんなぁー。不安を紛らわせようとしてるだけじゃん!」
「だからソレに巻き込むな!」
 仁羽に吐き捨てられ、唇を尖らす。それくらいいいじゃん、と言ったら仁羽はいいわけねぇだろ、と返してきた。お囃子が聞こえる。風がうなって髪の毛が乱れる。
「……でも、仁羽……今度の遠足、動物公園でスタンプラリーなんだって……」
「え、そうなの?」
 楽しそうな遠山の声が降ってきて、隣町の動物園と遊園地が合体したみたいなテーマパークを出すので、つい口を挟んだ。飽きるほど行ってるんだけど。遠山がそうだよ……とゆったり答えた。アトラクションごとにね、スタンプ押してもらうんだよ、出口で、という声は眠そうなのにそれはもうきらきらしているような気がしてならない。ばさばさと枝が揺れて葉っぱが落ちる。
「うわあー。楽しそうだねぇ」
 歓声をあげる成島。あおられて、木が揺れる。植物の匂いが満ちる。遠山がゆっくりと告げる。
「うん……それでね……お化け屋敷もあるんだよ……」
 その言葉に、仁羽が固まったのがわかった。遠山はなおも続ける。お囃子が近い。
「班制だから……ごまかしきかないし……」
 ぼんやりと言う遠山の言葉に、俺は手を挙げた。笛の音が真っ直ぐ届く。高い。
「こういうのをさぁ……他人を怖がらせて楽しんでる、って言うんだと思うよー」
「楽しそうだけど……仁羽は大変だねぇ。怖いのばれちゃうね」
 愉快そうに言う成島の声に、怒るべきは絶対に、俺じゃなくてこいつらだと思った。太鼓の音が腹の中心に響く。重い音が空気を震わす。
「……遠山……お前一体、何が言いたい……?」
 仁羽はどうにか言葉を絞り出す。ロクな返答じゃなかったらタダじゃおかない、という決意をみなぎらせて問いかけた。お囃子に合わせて風がうねる。枝につかまりながら遠山の返答を待っていたら、ゆるやかに答える。
「うん……だからさ……」
 鈴の音が、聞こえる。頭の奥で鳴り響いている。きんきんしていてこめかみが痛い。遠山はそんなことを気にしない声で言った。
「……だから……みんな一緒に行けば、いいんじゃない……?」
 ふわり、と言葉が落ちた。見上げた横顔が笑ってるみたいだった。お囃子が、近い。
「あ、そうだねぇ! 仁羽と、遠山と、園田と、僕で、丁度いいんじゃない?」
 ぱん、と手を叩いて成島が賛同する。当然のように言うから一瞬戸惑ったけど、すぐに続いた。消えないように「俺も賛成! ナイスアイディア、遠山!」と声を張り上げる。
 そしたら、でしょう……と遠山はうなずいている。仁羽はどうかな、と思ったら下を向いていた。俺と、遠山と、成島が見ている。そしたら、ぽそっと何かをつぶやいた。かき消されて聞こえない、と思ったらもう一度言った。というか、叫んだ。
「わかったよっ!」
 顔を上げる。泣きそうな顔をしてるかと思いきや、そうでもなかった。強い目で、負けないように声を張り上げる。
「いいアイディアだよ。それに、確かに丁度いいかもしれねぇな」
 口元を引き上げる。強がってるのかもしれないけど、俺もつられて挑むみたいに笑った。
「うん。このメンバーなら、丁度いいよ」
「そうでしょー?」
 楽しそうな声が降ってきた。遠山がよく通る声で、つぶやく。風が吹き抜けて、空へ上がった。息がつまる。
「……夜の校舎に閉じ込められて、こんなに遅くまでいるハメになる人間、そうそういないからね……」
 しみじみした言葉に本当だよな、と愉快な気分になる。思わず笑ったら、声が空へ上っていく。一緒に強く風が吹き上がって、目を開けていられない。下の方が騒がしい。
「……何笑ってんだ?」
 仁羽がつぶやくけど、その声も苦笑いみたいだった。上の方から、くすくすという忍び笑いが聞こえる。横顔の引き結ばれた唇は、確かにきゅっと持ち上がっている。
 お囃子が聞こえる。息遣いまで聞こえる気がした。真下から、叫ぶみたいな笛の音がしている。太鼓の音が腹に響く。鈴が急かすように鳴っている。お囃子で埋めつくされそうだ。真下から聞こえるお囃子が何なのかなんて、俺たちにはわからないけど、もう何だってよかった。空は見えないけど、上を向いている。成島がいて、遠山がいて、そして後ろには仁羽がいる。それだけで笑顔になる。お囃子が聞こえる。水の匂いだ。頭上を覆う枝と葉っぱ。それを眺めている。冷気がざあっと登ってきて背すじを貫いた。ざわざわとした息遣い、不思議な匂い。音がうるさい。ぞわぞわと、這い上がってくる何かがいる。
 だけどその時。見慣れた丸い光が視界を横切ったのに気づいた。目を凝らそうとした次の瞬間、声が聞こえた。
「誰かいるの?」
 それはたぶん、今日の昼ごろ、職員室で散々聞いた声。