Note No.6

小説置場

第七章 03【完】

 俺は考えようとする。変で間違ってる気がする。絶対に何かがおかしい。歯車が噛みあわないような、有りえない話が起きているみたいな気がする。
 だっておかしい。普通のことじゃない。たとえば、ある日突然虹色の雨が降るとか、朝と夜がいっぺんに来たとか、そんなことになったら「こんなことはおかしい」ってきっと誰もが言うだろう。俺が今見たものだってたぶんそういう種類のことなんだ。だから「変だ」って俺が今言うことは、きっと正しい判断なんだ。
 確かにそう思ったのに、だけど同じくらいに、それが何だろうって思った。変だからって、それを主張しなくちゃいけないってわけじゃないのかもしれない。間違えてたって、絶対に正解出さなきゃいけないわけじゃないのかもしれない。歯車が噛み合わなくたって、有りえない話が起きてたって、何もかもを正しい位置に戻す必要なんて、ないのかもしれない。
 たとえば、虹色の雨が降ったならバケツに集めて眺めてみたい。色とりどりのきれいなものを近くでずっと見てみたい。朝と夜が一緒なら月見しながら日光浴でもしてみると思う。陽だまりに寝そべって、案外明るい月を見るんだ。
 それは普通なら起こることがない、有りえるはずのない話なんだけど、同じくらいにとても素敵なことのような気がする。それなら俺は、変だとしても、正解じゃなくても、間違ったまんまでも、おかしくても、全然構わない。考えるよりはやく、咄嗟に思った。だからきっと、いいんだ。
「……何でもない。ただ、目にゴミ入っただけ」
 結局、そう答えた。成島は大丈夫ー? と言うからうなずいた。きっと言わなくてもいい。一瞬目にした黒い影。アスファルトの上に、濡れるように伸びていた。不恰好で小さくて、俺たちの半分くらいしかない。何かを背負っているみたいに出っ張った背中。子どもみたいな背丈なのに、手足はずいぶん長い。見間違いじゃなく先生の足元から伸びていた影のことは、きっと言わなくたっていい。先生は特に何も言わず、今思い出したみたいな感じでそういえば、と口にした。
「壁新聞は出来たの?」
 一瞬何のことだかわからなくて固まった。だけど仁羽が数秒の空白の後「はい」と言って、鞄から紙を取り出した所で気がついた。そうだ、そもそも学校に残る原因はこれだった。慎重に鞄の中をあさり、多少しわはついていたものの、そこそこきれいな状態で発掘された、書き直した記事を先生へ提出する。先生は歩きながら一枚ずつ読み始め、読み終えると一つ息を吐いた。お疲れさま、と言ってから顔をしかめて続ける。
「ちゃんとやれば出来るんだから、最初っから真面目にやりなさい」
 怒るような口調に、はい、と神妙なふりして答えたら先生はすぐに表情を和らげる。そしてほがらかに、次はがんばって、とか言うので思わず叫んだ。
「次あるの!?」
 これで終わりかと思ってたのに! と言ったら他の三名もうなずいた。怪訝そうなのは先生だけだ。
「当然でしょ。せっかく班作ったんだから、一年やります」
 宣言されてしまった。一年……一年も書くことない……。どうしよう……夕飯シリーズで許されるのかな。いやきっと許されない感じしかしない……。
「夏休み明けには夏休み新聞、遠足行ったら遠足新聞も書いてもらおうかな」
 先生だけが楽しそうな企画だ。夏休みも遠足も楽しいけど、後で作業が待っているのは苦痛すぎる。そう思って頭を抱えていたのに、成島は悩みなんてひとかけらもなさそうな声でしつもーん! と手を挙げていた。
「せんせー、今度の遠足、動物公園でスタンプラリーってほんと?」
 きらきらした笑顔の質問に、先生は数秒固まった。それから、遠山の方を向いて苦々しげに言った。
「遠山くん、しゃべったでしょう」
 しかし、言われた方の遠山はぼんやりと先生を見るだけで聞いてない。夢の旅路にでも突入しかかっているらしい。先生はそんな遠山を数秒眺めて、答えを聞きだすのは無理だと早々に諦めたようだ。大きく息を吐いて、成島に向かってうなずいた。
「そうね、スタンプラリーすることになってます」
 ほんとなんだぁ、楽しみだなぁ、と成島ははしゃいでいる。俺はあの時気が回らなかったけど、今やっと、どうして遠山が知っていたのかという疑問が芽生えた。といっても解答はすぐに出る。
「……ああ、そうか……。遠山祭事係だったっけ」
 委員ならともかく、係なんてほとんど仕事しないからすっかり忘れてた。仁羽は仁羽で、そういえばそんな係あったな、と係の存在そのものに対してうなずいていた。どうせ仕事なんてたいしてやってないだろうに、中身だけは把握している所が遠山だ。
「遠足終わったら、今度は自分たちで題材を見つけて書いてもらうからね」
 ちゃんと考えておきなさい、と言われている気がする。そりゃ、俺だって今回の二の舞はカンベンしたい。この担任なら、どんな状況でも容赦なく居残りさせるに決まってる。
「その時は、もう少し統一性を持たせた方がいいんじゃない?」
 先生は俺たちが書いた記事に目を落としながら言った。まあ、確かに。脈絡のなさならどこにも負けない自信はある。だけど、「……それは……」と反論の声があがった。半分以上寝ていると思っていた遠山の声だ。ぼんやりとはしているけど、はっきりと聞こえる。
「……それは……、『統一性のなさ』で、統一されてます……」
 どっかで聞いたセリフに、思わず吹いた。成島は大声で笑ってるし、仁羽は口元を押さえている。先生はそんな俺たちを不思議そうに眺めていたけど、すぐになるほど、と納得顔になった。
「そういうのも……アリといえばアリね」
 だけど、と先生は続けた。だけど、一つのテーマでそれぞれが書いてみるものおもしろいものよ、と言った。そんなことを言われても、俺たちに共通するテーマなんてそうそう見つからないだろう。そう思ったら、先生は俺への答えのように、ひとこと言った。
「――……たとえば、夜の学校とか」
 笑いを含んだような、悪戯するような、とびきり楽しげな声で言われて、反射的に脳裏に浮かぶものがある。
 焼けるような職員室。ひっそりとした図書室。閉じ込められた。図書室から見た、影絵みたいな景色。電気がつかない夜の校舎。ざわめいて蠢く。お囃子。意外と使えるけど変な遠山。暗くてのっぺりした廊下。月の光。仁羽の怖がり。美術室の軽いホラー体験。絶叫と逃走。実はしっかりしてる成島。お囃子。二階の木。あの日。メノウ様。支えてくれる人。待ってる。笑顔。尻もち。無駄に走った。月を見ていた。くだらない話をしていた。お囃子が聞こえる。走って木に登った。夜の学校。
 それぞれの場面がよみがえる。思い出すよりもっとはやく、もっと強く、当たり前みたいに頭の中に映し出される。笑ったこと、怖かったこと、嬉しかったこと、泣きそうだったこと、どんな顔していたのかはもちろん、月の光の色まで全部頭の中に刻まれている。そんな特別なたった一日の話を、誰かに伝えるなんて。ちらり、と気持ちが動くのとほぼ同時に、声が響く。
「秘密だからだめー!」
「……黙秘します……」
「口外はしません」
 成島がメノウ様を握りしめて、やたら楽しそうに叫ぶ。遠山の口調はやっぱりぼんやりしてるけど、はっきり届いた。仁羽はぶっきらぼうに、そっぽを向いて言うけどきっと照れてるだけなんだ。
「誰にも言わないです」
 俺も同じだって伝えたくて言えば、成島が「ね!」と笑う。遠山がうなずいて、仁羽がほんのり唇に笑みを刻んでいる。先生は何も言わなかったけど、意外そうな顔ではなかった。
 大通りまでの道を歩いていたら、心の奥がふわふわしてきて唇の端から笑みがこぼれてくる。だって、今日のことを誰かに話すなんて、そんなの。
「もったいないじゃん」
 ぽつん、とこぼしたら。成島が「だよね!」と言ったかと思うと、けらけら笑い出す。それを見ていたら愉快な気分になって、笑えて来た。遠山が珍しく、声を出して小さく笑っている。仁羽は怒ったような顔をしたけど、すぐに崩れてくつくつ笑い出す。俺の声、成島の声、遠山の声、仁羽の声。響きは全然違うのに、きちんと重なり合って広がっていく。夜空に上っていく声が聞こえる。誰のものでもない、俺たちだけの笑い声が聞こえる。

 

〈完〉