Note No.6

小説置場

夏の声 01

 終業式の後のあれこれのおかげで、しばらくは外出禁止だったし携帯も使っちゃ駄目で、それがようやく解禁されたから、久しぶりに外へ出た。本当に全然表に出られなかったのはつらい。天気が良いのが余計に嫌だった。夏休みなのに閉じ込められるって精神衛生上マジで良くないと思う。部屋にこもってるからって宿題が進むかっていうとそんなことは全然ないし。
 ようやく外に出てもいいって言われて、俺は早速駅前までやって来た。やっと俺の夏休みが始まったなぁ、なんて気分で。そしたら、運がいいのか悪いのか、ちらほらとクラスメイトに出くわした。まあ、普段ならたぶん、そのまま「どっか行くんなら俺も連れてけよ!」とか笑って言ってたんだけど。今日ばかりはそうも行かなかった。
 何せ、会う人間会う人間、みんな口をそろえて「終業式の日何してたんだよ」と聞いて来るから。どうやらあの日、俺たちが行方不明になっていたことは、クラスの人間はもちろん、学年の人間のほとんどが知ってるっぽい。近所の人たちにも言われたから、そりゃもう大々的な騒ぎにはなってたんだろうなぁ、とは思ったけど本当に結構な騒動だった、ということを身に染みて感じた。嬉しくない。
 一応誤魔化してはいたけど、これで遊びに行こうものなら、全てを白状するまで許してもらえそうになかった。それは避けたかったので、どうにか質問をかわして、「俺用事あるから!」と本屋に避難した。そしたら仁羽がいた。
「……」
 外の音が全て遮断されてしまったような店内で、文庫本の棚の前で難しそうな顔をしている。きつく結ばれた唇に、眉間に寄ったしわ、見慣れた銀縁眼鏡。夜の中で散々見てきた気がする横顔は、間違いなく仁羽だった。
 どうしようか、と思った。
 今までの俺なら、仁羽を見たってわざわざ声をかけることはしない。必要があれば話すけど、基本的には関わらないのが当たり前だった。他のクラスメイトなら、迷惑そうでない限り自分から話しかけて、ちょっとした雑談をしてから解散する。ちゃんと気づいてるよって、無視してるんじゃないよって、知らせるみたいに。
 でも、仁羽の場合は「話しかけるなオーラ」を全身から発していることがほとんどだし、それは誰の目にも明らかだったから、わざわざ話しかけることはしなかった。だって、声をかけても迷惑がられることはよくわかってるし、嫌味やキツイ言葉を浴びせられるだろうから、いちいち自分から声なんてかけない。
 だけど、今の俺は知っている。仁羽がどんな人間なのかって、気難しくて偉そうで、言葉は厳しくて態度もつんつんしてるけど、本当は誰よりも真っ直ぐで素直、怖くたって誰かの背中を守っていようとしてくれる。そんな人間だって、知っている。
 それなら話しかければいいんだろうとは思う。少なくとも、仁羽が怖いだけの人間じゃないってことを俺はちゃんと知っている。それなら、俺が普段するように、いつもみたいに声をかければいい。
 頭ではわかっていた。だけど中々踏み出せない。あの夜のことを思い出すと、それだけで強くなれそうな気がするのに、どこかで憶病な自分自身が言っているのだ。
 あれはあの夜、終業式の日、祭りの夜だけに起こった特別なことなんじゃないかって。こうして、真っ昼間の本屋で声をかけたって、今までみたいにそっけない態度を取られるんじゃないかって。あの夜が特別だったと知っているから、だから余計にそれが全部消えてなくなったらどうしようって思ってしまって、中々口を開けない。
 呆然として立ち尽くすように、ただ仁羽をぼんやりと見ていた。どうしようか。俺は一体、どうしたらいいんだろう。なかったことにしてしまおうか。気づいていないって、仁羽のことは見なかったって。そうしたら、俺はあの夜の記憶を抱えたまま、幸せな気分でいられる。特別な時間があったんだって噛み締めたままでいられる。
 だけど、と同じくらいに思っている。見なかったことにして、なかったことにして、知らなかったふりをして、それでそのまま帰ったら、それこそこれで何もかもが終わってしまうような気がするんだ。あの時感じたことがみんな、あの時間だけにあったことになってしまいそうなんだ。それは嫌だな、と思う。あの日だけの、特別な魔法がかかった時間だったなんて、思いたくはないな。あの時間が――閉じ込められた夜の校舎で過ごした時間が、見たものが、聞いたもの、感じたこと、大事だったいろんなことが、あの夜だけで終わりだったとは、思いたくないな。
 ぼんやりとした気持ちのまま、かけたい言葉も見つからないのに、ほとんど無意識で俺は一歩足を踏み出した。仁羽の方へ、文庫本の棚の前にいる仁羽に向かって、何を言えばいいかもわからないけど、一歩近づく。
 瞬間、何の前触れもなく仁羽がこっちを見た。突然すぎて心の準備が出来てなかったから、笑顔を浮かべる暇もない。ぱかっと口を開けてまじまじと仁羽を見つめてしまった。
「……何だその間抜け面」
 唇の片端を吊り上げて、仁羽が言う。阿呆みたいに口を開けてる俺に向けて、きちんと俺を見つめてそう言う。ぱっと見ると完全に馬鹿にしてるけど、まとう空気にはわずかに冗談めいたものがにじんでいるから、俺の口は勝手に言葉を吐き出していた。
「間抜け面じゃありませんー。こんなイケメンを捕まえてそんなこと言うなんて、仁羽の眼鏡合ってないんじゃない?」
「馬鹿か。それが間抜け面じゃねぇんなら阿呆面だろ」
 鼻で笑ってそう言い切る。軽やかに、どんな重苦しさもぎこちなさもない言葉。「ひっどいな仁羽ってば」と、俺も同じ重さで返しながら、こっそり胸中で息を吐く。
 大丈夫。この言葉なら、この空気なら知っている。大丈夫、ちゃんとつながっている。あの夜は、ちゃんとここまで続いている。ほっとしたら思わず力が抜けそうになったけど、何てことない顔をして、俺は「そういえば」と口を開いた。
「仁羽何か探してんの? すげえ真剣に本見てたけど」
「……まあな。課題用の本探してたんだよ」
 読書感想文のことを言っているらしく、「え、もう宿題やってんの?」と聞いたら、心底馬鹿に仕切った顔で「七月中に終わらせるに決まってるだろ」と言われた。これは冗談でも何でもなく、本当に馬鹿にした顔で言っていた。
「マジで! 七月中に宿題終わらせる人間って存在してたの!?」
 都市伝説じゃなかったんだ……という気持ちでまじまじと仁羽を見てしまう。だって夏休みの宿題って、三十一日の夜にひーひー言いながら終わらせるものじゃん。どうやら仁羽にとって俺の常識は通じないらしい。
「読書感想文かー。どれで書こうか毎年悩むんだよなー……課題図書つまんないしさぁ」
「無理に課題図書から選ぶからだろ。好きな本選べよ」
「えー、俺本読まないもん」
「読め。ただでさえ馬鹿なのに拍車がかかる」
「ただでさえ馬鹿って! ひどい!」
「事実だろ」
 短いテンポで言葉を交わし、「じゃあ、ちょっと仁羽選んでよ。てか、宿題教えてよ」と笑って告げる。仁羽のことだ、「自分でやれ」と切り捨てて終わりだろう。そう思っての言葉だったのに、仁羽は予想外の答えを返してきた。
「選んでやってもいいけどな」
 あまりにもあっさり言うから一瞬スルーしそうになったけど、「え、ホントに!?」と答えたら、仁羽は「その代わり」と続けた。あ、やっぱり何か理由あるんだ、そうだよな……と思いながら続きの言葉を待っていると、仁羽は益々予想外のことを言った。本くらい選んでやる、その代わり。
「スイカを引き取ってくれ」

 事情が全くわからないので「えーと?」と首を傾げていたら、ひとまず説明をしてくれる気になったらしい。本屋で長く立ち話をするものではない、という仁羽に連れられ、とりあえず隣のミスドに向かった。
 夏休み中だからなのか、お客さんは結構いた。別の場所に移動するのも面倒だったし、大体話を出来るような店はそんなにほいほいないので、列の後ろに並ぶ。俺は別に平気なんだけど、仁羽は明らかにいらいらしていた。
「園田、お前スイカ好きか」
「えー、うん、好きだよ。人並みに」
 大好きか、と聞かれたら困るけど、好きか嫌いかの二択なら迷うことなく好きと言える。美味しいし。夏らしい食べ物だと思うし。やっぱり夏になるとスイカ食べたいなーって思うし。仁羽は俺の返答に「それならいい」とうなずいた。
 ゆっくりと進む列に並びつつ、さて一体どういうことなのか、と思っていると仁羽はぽつぽつと言葉を吐き出した。一つ一つは、いつもの仁羽のようにはっきりしているけど、間隔がずいぶんゆっくりしていて、あんまり言いたくなさそうだった。だから、「無理しなくてもいいのに」って言ってみたけど、「説明責任がある」とか言っている。ある意味すごく、仁羽らしい。
 仁羽の言葉を総合すると、要するに仁羽の親戚の方々が趣味でやっている畑仕事で精を出しすぎて、予想外に豊作になってしまい、とても自分たちだけでは消費出来ないから、配れる先を探している、ということらしい。それは仁羽家にも及んだようで、それぞれが引き取り先を探しているみたいだ。
「うちにも嫌になるくらいのスイカがあるっていうのに、さらにあるから引き取りに来い、だとよ。要らねぇんだよ」
 仁羽も別にスイカは嫌いじゃないみたいだけど、さすがに物事には限度があるんだろう。いくら好きでも飽きるほどあったら嫌になるらしい。まあ、確かに俺だって、ミスドのドーナツ好きだけど全部食べていいよ! とか言われたら困るかもしれない。ポン・デ・リングをトレーに乗せつつ、そんなことを思う。
「えーと、何か大変そうだね」
 ひとまず無難にそんなことを言ってみる。うちも親戚付きあいは何かと面倒が多いので、一応実感はこもっているはず。仁羽は射殺しそうな眼をしてゴールデンチョコレートを取りながら「面倒くせえ人間しかいねぇんだよ」とつぶやいている。後半は呪いの言葉らしかった。
 それぞれ好きなものを取ってレジに進んでいる間も、仁羽はぶつくさと呪いを吐き続けていた。何となくスルーしながらも時々で相槌を打っていたら、「大体」と仁羽がつぶやく。親戚の人たちの面倒くささ(どうやら、何かと構いたがることが好きな人たちが多いみたいで、そりゃ仁羽とは合わないだろうなぁという感じ)を並べ立てた後、心の底からの感情がこもった声で言う。
「"達樹にはスイカもらってくれるような友達がいないのに悪いこと言ったな"って、全然悪いと思ってねぇだろうがあの野郎」
 いらいら、した調子で紡がれた言葉は、今までで一番強い怨念がこもっていた。
 どうやら、と思う。どうやら仁羽はこれが一番腹立たしかったらしい。売り言葉に買い言葉で「友達くらいいるに決まってるだろうが!」と吠えた結果として、今俺にこの話が巡っているようだ。
 頭に血が上っている仁羽は気づいていないけど、その話が示すことが何かなんて、すぐにわかってしまう。俺は何だか照れくさくて仕方なくて仁羽の顔が見られなくて、ただレジのお姉さんの名札を見つめている。