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Note No.6

小説置場

それでも飛ぼうとしてるんだ

短編・SS

 目の前の椅子に座った途端、ネクタイをゆるめながら入江が前に倒れ伏した。野瀬は自分の食事がのったトレーをさっさと避難させる。それから、何事もなかったかのようにランチのAセットへ箸を伸ばす。メインディッシュの焼肉をしっかり味わわなければ。
「……野瀬ー」
 突っ伏したままの姿勢で入江が声を発する。じっとりとした低い声は、食堂の喧騒にまぎれもせずしっかり届いた。
「お前、何があったかくらい聞けよー」
「ナニガアリマシタカ」
 大根のみそ汁を飲んでからお義理程度に聞いてやる。理由なんて大体というかほぼ完全に予想がつく。
「おま、もうちょっとマトモに聞けよ」
「注文の多いやつだなぁ」
 やっと体を起こした入江に、気のない言葉を投げる。入学してからずっと明るい茶だった髪は、今はもう真っ黒だ。入江は、全ての動作において重さを感じさせない男だった。羽でも生えているのか、それとも入江の周りだけGが軽いんじゃないか、というくらい。そんな入江に、あの明るい髪はとても似合っていたのに、と密かに野瀬は思っていた。
 今はその入江も地球の重力にからめとられている。どんぶりの麦飯を咀嚼しながら、真っ黒の髪の下にある顔を見ている。瞳は濁り、表情は陰っているような気がして目をそらした。
「もうマジでスーツ疲れるわー」
 入江は首をコキコキ鳴らし、肩を回す。吐かれた息が鉛のように重くて硬い。野瀬は何も言わず、最後の一切れへ箸をのばす。
「筆記とかワケわかんね。じゃあお前解けんのかよ! て逆ギレしそうなんだけど」
 全てを平らげた野瀬は、両手を合わせて「ごちそうさま」とつぶやいた。それからその続きのように、ゆっくりと言う。
「面接落とされまくると人格否定されてるみたいだし?」
「……そーそー!」
 一瞬の間の後弾かれるように笑うが、それはどこか作り物めいて見えた。何度も何度も浮かべてきて張りついてしまったまま、剥がせないでそこにあるようだ。
「何回も落とされ続けると、新手の拷問みたいな気がしてくるよ」
 つぶやく野瀬に、「わかる」とかぶる入江の声ににじむ色があった。中心から少しずつ漏れ出してくる。
リクスーってそれだけで嫌がらせみてーだし」
 困ったように笑ってはいるものの、その口は大きく開かれている。ちぐはぐなようでいて、どこか懐かしい気もして、野瀬はそっと目を細めた。
「嫌になるよ」
 叩きつけるように吐き捨てられた言葉に、野瀬は一言だけ返した。
「飯、食って来い」
 入江は何も言わなかった。しかしそれは驚いているわけでもなく、野瀬の言葉が上手く染み込まないための空白のようだった。だから、野瀬は何も言わないでいる間に向かって、もう少しだけ言葉を添える。
「あったかい飯を、腹いっぱい食ってこいよ」
 やわやわと、入江に笑みが広がっていく。からりとして軽やかな、空も飛べる笑顔。